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東京地方裁判所 昭和35年(行)53号 判決 1963年3月28日

原告 東京都知事

訴訟代理人 三谷清 外二名

被告 砂川町長

主文

被告は、この判決の送達を受けた日から二日以内に、公告をした日を年月日欄に記入して別紙(一)記載のとおり公告せよ。

被告は前項の公告をした日から二週間別紙(二)記載の書類を公衆の縦覧に供せよ。

被告は第一項の公告をした日をその日から二日以内に東京都収用委員会に書留郵便に付して報告せよ。

訴訟費用は、被告の負担とする。

事実

第一、当事者双方の求める裁判

一、原告

主文と同旨

二、被告

原告の請求を棄却する。

訴訟費用は、原告の負担とする。

第二、請求の原因

一、訴外東京調達局長は、日本国とアメリカ合衆国との間の安全保障条約(昭和二七年条約第六号、以下単に旧安全保障条約という。)第三条に基づく行政協定(以下単に行政協定という。)の実施に伴なう土地等の使用等に関する特別措置法(昭和二五年法律第一四〇号、以下単に旧特別措置法という。)第四条の規定に基づいて、昭和三〇年一〇月八日付書面で、訴外内閣総理大臣に別紙(三)記載の土地について収用の認定の申請をし、内閣総理大臣は同月一四日付で同法第五条の規定により、右申請にかかる土地の収用の認定(以下単に本件収用認定という。)をし、同月一七日付官報でその旨告示した。

東京調達局長は、同法第七条第二項の規定に基づき、同日の官報で収用しようとする土地の所在、種類および数量を別紙(三)記載のとおりであると公告し、かつ、同月一七日付、同月一九日到達の書面でその旨を別紙(四)記載の土地所有者を含む関係の土地所有者および関係人に通知し、さらに、別紙(四)記載の土地所有者三名に対し昭和三一年四月二七日付書面で、別紙(四)記載の土地の売渡しに関し、その補償金額、土地引渡期限等の条件を呈示して、土地収用法第四〇条の規定による協議を求めたが、その回答期限である同年五月一一日をすぎてもなんらの回答もなく、協議が不調になつた。そこで右調達局長は、同年六月一九日訴外東京都収用委員会に対し土地収用法第四一条の規定に基づき別紙(四)記載の土地(以下本件土地という。)について収用の裁決を求めるため、同法第四二条の規定による裁決申請書およびその添付書類を提出した(以下本件裁決申請という。)。

二、東京都収用委員会は、同年六月二五日右裁決申請書を受理し、同年七月二日土地収用法第四四条第一項の規定に基づいて、右裁決申請書および添付書類の写(別紙(二)記載の書類、以下これを本件裁決申請書等という。)を収用しようとする土地の所在する東京都北多摩郡砂川町の町長である被告に送付し、右書類は翌三日被告に到達した。

三、被告は、東京都収用委員会から裁決申請書および添付書類の送付を受けたときは、その権限に属する国の事務(地方自治法第一四八条第三項別表第四、二(四十三)参照)の執行として、土地収用法第四四条第二項の規定に基づき直ちに当該裁決の申請があつた旨および同法第四二条第一項第二号イに掲げる事項(収用しようとする土地の所在、地番および地目)を公告し、公告した日から二週間その裁決申請書および添付書類を公衆の縦覧に供し、(以下、以上の手続を一括して公衆縦覧手続ということがある。)公告したときは同法第四四条第三項の規定により遅滞なく公告した日を東京都収用委員会に報告しなければならない職務上の義務があることが明らかであるのに、被告は本件裁決申請書類等の送付を受けてから五日を経過した同年七月八日になつても公告した日を東京都収用委員会に報告しなかつたので、同委員会は被告に同月九日付書面で公告した日を同月一三日までに回答するよう照会したが、被告から回答がなかつた。

四、以上のような経過で被告が土地収用法第四四条第二項の規定による公告および本件裁決申請書等を公衆の縦覧に供する手続を行なつていないことが明らかとなつたので、原告は地方自治法第一四六条第一二項、第一項の規定に基づいて、昭和三一年七月二一日付書面で被告に対し、同月二七日までに右の公告をし、公告した日から二週間本件裁決申請書等を公衆の縦覧に供し、なお公告をした日を同月三一日までに東京都収用委員会に報告するように命令し、(以下単に本件職務執行命令ということがある。)右書面は同月二二日被告に到達したが、被告は右命令の期限を経過した後、現在にいたるまでこれらの行為をしない。

なおこの間、前記旧安全保障条約は、日本国とアメリカ合衆国との間の相互協力および安全保障条約(昭和三五年条約第六号、以下単に新安全保障条約という。)の発効(昭和三五年六月二三日)とともにその効力を失ない、また日本国とアメリカ合衆国との間の相互協力および安全保障条約第六条に基づく施設および区域ならびに日本国における合衆国軍隊の地位に関する協定(昭和三五年条約第七号、以下単に駐留協定という。)の発効により前記行政協定は終了し、それに伴ない、前記旧特別措置法は日本国とアメリカ合衆国との間の相互協力および安全保障条約等の締結に伴なう関係法令の整理に関する法律(昭和三五年法律第一〇二号、以下単に関係法令整理法ということがある。)により改正せられ、その名称も日本国とアメリカ合衆国との間の相互協力および安全保障条約第六条に基づく施設および区域ならびに日本国における合衆国軍隊の地位に関する協定の実施に伴なう土地等の使用等に関する特別措置法(以下単に新特別措置法という。)と改められたが、旧特別措置法によつてなされた本件土地についての内閣総理大臣の収用の認定に始まり、東京都収用委員会の被告に対する本件裁決申請書等の送付にいたるまでの土地収用上の一連の行為は、関係法令整理法附則第三条により、法律上当然に新特別措置法によつてなされたものとみなされているので、被告の本件公告、縦覧手続をなすべき義務は、現在は新特別措置法によつて生じているものである。

五、よつて原告は、地方自治法第一四六条第一二項、第二項の規定に基づき、請求の趣旨記載のとおりの裁判を求める。

第三、請求の原因に対する被告の答弁

一、原告主張の第二の一の事実中昭和三〇年一〇月一七日の官報に、原告主張の内閣総理大臣の収用の認定の告示および東京調達局長の収用しようとする土地の所在、種類および数量の公告が掲載されたことは認めるが、東京調達局長が別紙(四)記載の土地の所有者三名とその土地の売渡しに関し協議したこと、その協議が不調となつたことは否認する。その他の事実は知らない。

二、同第二の二の事実中東京都収用委員会が原告主張の日に土地収用法第四四条第一項の規定に基づき別紙(二)記載の書類を収用しようとする土地の所在する東京都北多摩郡砂川町の町長である被告に送付し、原告主張の日に被告に到達したことは認めるが、その他の事実は知らない。

三、同第二の三の事実中原告主張の内容の義務が被告にあることおよび公告の日の報告先が東京都収用委員会であることは争うが、その他の事実は認める(原告主張の義務が被告にない理由については後記第五以下参照)。

四、同第二の四の事実中被告が昭和三一年七月一三日までに原告主張の公告および本件裁決申請書等の縦覧手続を行なわなかつたこと、原告が原告主張の日付の書面で被告に対し原告主張の事項を命令したこと、その書面が原告主張の日に被告に到達したことおよび被告が右命令の所定期限を経過した後現在にいたるまで公告した日を東京都収用委員会に報告していないことは認める。

第四、本件訴訟の司法審査の範囲

一  原告の主張

(一)  本件についての最高裁判所判決によると「職務執行命令訴訟において、裁判所が国の当該指揮命令の内容の適否を実質的に審査することは当然」であるが、審査するについては「司法審査固有の審判権の限界を守ることはいうまでもない」旨を判示している。この司法審査の限界については、具体的には必ずしも明らかではないので、以下この点について原告の見解を明らかにする。

(二)  職務執行命令訴訟においては、職務命令が当然無効であるかどうかのみを審理しうべく、右命令に取り消しうべきかしがあるかどうかについては審理権が及ばない。 職務命令なるものは、いうまでもなく行政組織内において上級機関の下級機関に対する監督権の作用として上級機関が下級機関の権限の行使について指揮するものであつて、下級機関はこの命令の内容に従つて権限を行使しなければならない拘束をうける。そして、職務命令を受けた下級機関としては、行政組織の特質上、本来はその命令内容について実質的審査をすることができないのが原則であるけれども、裁判所が特に関与して職務命令について実質的審査をするについては、その命令が前述のように下級機関に対して拘束力を有するか否かが審査の対象となるものと考えられるが、いかなる場合に拘束力を有し、いかなる場合に有しないかが問題である。

一般に行政処分については、それになんらかのかし(違法性ないし不当性)が存する場合においても、そのかしの程度態様に応じて当然無効の処分と単に取り消しうるにすぎない処分の二つがあり、前者については裁判所はなんらの法的拘束力をもたない処分として取り扱うことができるが、後者については権限ある行政機関によつて取り消されるか、適法な取消訴訟の手続において裁判所が、これを取り消すまでは、一応有効な処分としての効力を有し、裁判所や行政機関もこれに拘束されるものとされているが、かしある職務命令についても同様に当然無効の職務命令と単に取り消しうるにすぎない職務命令との区別が存し、前者についてはその拘束力を否定しうるが、後者についてはそれが取り消されるまでは、有効な命令としてその効力を保持するものであるから、職務執行命令訴訟においても、裁判所は当該職務命令にこれを無効ならしめるごときかしが存するかどうかについてのみ審理しうるものと解すべきである。けだし、右に述べたように一般の行政処分についてこれによつて違法に権利を害された者が存する場合においても、右処分が当然無効でない限り、法定の期間内にその処分の取消しを求める訴によつてのみその効力を争い、これによつて自己の権利の回復をはかることができ、それ以外にはたとえ違法な処分といえどもその効力を否定することができないとされているのは、専ら行政上の法的安定と行政権の独自性の尊重の要請から裁判所の介入権に制限を付し、権利を侵害された者のイニシヤテイブによる一定期間内の出訴による以外には、当該処分をした行政機関のみにこれを取り消すことを相当とするかどうかの判断を任せることとしたものであつて、違法な権利侵害を伴う行政処分についてすらかような建前がとられていることを考えるときは、もともと国家行政組織を構成する機関と機関との間の紛争に関するもので、権利主体の権利に対する違法な侵害という要素を全然含まず、本来行政権に固有の範囲に属する行政機関相互間の紛争について特に裁判所の関与を認めたにすぎない職務執行命令訴訟においては、当該職務命令の適否に対する裁判所の実質的審査の範囲にも制限が存し、その審査権は取消原因たるかしの存否には及ばず、無効原因たるかしの存否のみに及ぶものと解するのが相当であるからである。

(三)  旧安全保障条約および行政協定の効力については、審査権が及ばない。

被告の本件裁決申請書等の公告縦覧義務を定めた特別措置法(新旧ともに)が無効であるということになれば、本件職務執行命令もまた無効であるということになるかも知れない。

しかしながら旧安全保障条約および行政協定の効力については、すでに最高裁判所の判決(昭和三四年(あ)第七一〇号事件)において違憲無効でない旨判示されているので、行政機関である原告も被告も最高裁判所の右判断を尊重し、これに従わなければならないのは、国家機関として当然のことであり、かつ、本件訴訟が上記のように本来行政権の固有な領域に属するものを訴訟物としている特殊性をもあわせ考慮するならば、裁判所としては、前記最高裁判所判決にかかる事件と本件訴訟とは事件が異なるからといつて、改めてそれらの効力について判断することは審査権の適正なる限界を逸脱するものというべく、また、もし本件訴訟で行政協定の効力を再び審査し違憲無効と判断しても、実際には最高裁判所ではそのような判断を容認できないから、法律上特に迅速なる裁判の要請される本件のような訴訟においては、裁判がそのために無用に遅延するだけのことであつて、このような点からも行政協定等の効力の審査はできないというべきである。

(四)  内閣総理大臣の収用認定の効力および本件裁決申請の手続上の適否については審査権が及ばない。

本件職務命令において命ぜられた被告の公告縦覧手続なるものは、元来公衆に対し裁決の申請のあつたことを知らせるいわゆる通知行為であり、行為者の意思に基づいて格別の法律効果を発生させるものではなく、裁量の余地のない単なる機械的な行為にすぎないから、特別措置法および土地収用法上、形式的に土地収用の裁決申請がなされておれば、当然被告に法所定の公告、縦覧の手続をする義務が生ずるものというべく、裁決申請の前提行為たる内閣総理大臣の収用の認定の有効無効は、右の公告、縦覧義務の存否になんらの影響を与えるものではないと解すべきである。そして、このことは、本件公告等の手続は収用認定の効力如何とは全く関係のないそれ自身独立した別個の事務であることからもいえることである。のみならず、以上の論を別としても、いやしくも形式上行政行為が成立している場合においては、たとえそれが本来無効であるとしても客観的にはその無効であることは明白とはいえないから、一応は有効と推測せられるべきものであり、したがつてその行為者たる行政機関の権力下にある下級行政機関はその無効であることを認定する権能を有しないというべきであるところ、本件においては、仮に本件収用認定が無効であるとしてもそれは客観的に明白でないし、また被告町長は国の機関としての内閣総理大臣の権力下にあるのであるから、被告には収用認定の無効を認定する権限はないというべきである。

また、被告が第五の五において主張する本件裁決申請の前提とする土地収用法第四〇条の協議についてのかし、および同六において主張する本件裁決申請書に添付すべき土地調書等の不適法等のことについても、前記のように本件裁決申請についての公告縦覧手続が単なる機械的な通知行為であることからいつて、原告自身も本件職務執行命令を発するに当つて、本件裁決申請自体についてはなんらの審査権限も有しないのと同様に、被告としても所定の公告縦覧という形式的手続をとる以外になんらの審査権も有しないのである。このことは、例えば訴状の送達について民事訴訟法第一七八条の公示送達の申立てがなされた場合に、裁判所としては、公示送達なるものがある一定事項を関係当事者に了知させることを目的とする行為であることの性質上、その訴状について裁判管轄権その他の訴訟要件の具備いかんを審査すべきではないのと同様である。

被告の主張するような事実があるかどうかは、本件公告、縦覧手続を経た上で、収用委員会がその権限によつて審査すべき事柄であつて、もし裁判所がこの点についても審理するとなると、本来は収用委員会が土地収用法に基づく職務として裁決申請について審理すべき事項を裁判所が先んじて審理することとなり、もし裁判所が被告の主張するような事実のあることを理由に裁決申請は違法無効であるとして本件公告縦覧を命じないことにでもなれば、収用委員会としては裁決申請を受理したのにかかわらず、審理をすることが不可能となり、結局審理権を事実上奪われたのと同様な結果となるわけであつて、かような事項について裁判所の審理権が及ばないことは明らかである。

二  被告の主張

(一)  本件訴訟における裁判所の審査権について、最高裁判所はさきの上告審判決において「職務執行命令訴訟において裁判所が国の当該指揮命令の内容の適否を実質的に審査することは当然であつて、したがつてこの点形式的審査で足りるとした原審の判断は正当ではない」とし、「地方自治法一四六条が裁判所を関与せしめその裁判を必要としたのは、地方公共団体の長に対する国の当該指揮命令の適法であるか否かを裁判所に判断させ、裁判所が当該指揮命令の適法性を是認する場合はじめて代執行権および罷免権を行使できるものとする……」と明確に判示しているのであつて、そこでは職務執行命令の適法性つまり無効事由たると取消し事由たるとを問わず違法事由一般が審査の対象とさるべきものとされていることは疑いを容れないのである。

同判決は右審査にあたつて「司法審査固有の審判権の限界を守ることはいうまでもない」とするが、右にいう司法審査固有の限界というのは、行政庁の自由裁量の範囲内に属する問題や、また違法の判断が可能であつても事柄の性質上高度の政治的判断を要する問題のごときは司法審査の対象にならないとする点を強調しているものであつて、本件において審査すべき違法事由にそれ以外の限界があるという趣旨ではない。したがつて裁判所は本件職務執行命令に従うべき理由がないとして被告が主張するすべての点について審査すべきである。

なお、旧安全保障条約の違憲性について、最高裁判所は昭和三四年一二月一六日の判決において、高度の政治性をもつ条約であつても、一見極めて明白に違憲無効であると認められる場合は司法審査の対象になるものと判示しているが、右にいう「一見極めて明白」というのは客観的に明白というほどの意味であり、行政行為の無効事由と取消事由とを区別するために用いられる明白性の要件とほぼ同義に解すべきところ、本件職務執行命令の根拠法規となつている新特別措置法の前提となつている新安全保障条約および駐留協定には第五の八および九で詳述したように極めて明白かつ重大な憲法違反の事由が存在するので、結局右特別措置法の効力も本件において司法審査の対象となることを免れないものである。

(二)  特別措置法の効力についての判断

まず、本件公告縦覧手続の根拠法たる特別措置法が違憲無効である場合には被告の公告等の義務発生の要件を規定する法規そのものが当然に無効となるから右義務は発生すべくもなく、この点を誤つて右義務の履行を命ずる本件執行命令は違法といわざるを得ない。被告の執行すべき本件公告縦覧の職務の内容は、いわゆる通知行為であり、かつ拘束行為であること論をまたないが、それが単なる事実行為であれば格別、特別措置法第一四条、土地収用法第四四条第二項に明示の根拠をもつ準法律行為であるから、根拠法規が無効であれば、当然に右職務執行の義務は発生するよしがない。

(三)  先行行為の効力についての判断

原告は、本件職務執行命令の適否を審査するにあたつて、その違法事由として被告が主張するところの、本件公告縦覧手続に先行する本件収用認定の効力や協議および裁決申請等の効力については審査することはできないと主張するが、以下に述べるようにそれは誤りである。

(1) 本件職務執行命令で被告に命ぜられている公告縦覧の手続は、米軍基地のための土地の収用等を終局的な目的とする一連の手続の不可欠の一環をなしているもので、このような一つの法律効果の形成を目的とする一連の手続において、先行行為にかしが存する場合は、そのかしが明白かつ重大であつてその先行行為が無効である場合はもちろん、それが取り消しうべきかしにすぎない場合であつても、後行行為を行なうべき義務すなわち、後行行為をすべき具体的権限は発生しない。かかる一連の手続は先行行為を基礎としてその上に順次後行行為が積み重ねられて行くという形で形成されることになり、後行行為は先行行為の適法有効な存在をその必要的前提としているのである。このように一連の手続を組成する個々の行政行為はおたがいに切り離しがたく結び付いて一連の連鎖をなしているのであるから、先行行為が違法無効な場合に以下の後行行為がすべて覆えされるべき運命におかれるのは当然である。一般にいわゆる「違法性の承継」の理論が承認され、後行行為に対する争訟においてその取消事由として先行行為のかしを主張しうるとされるのはこのためである。

ところでこの「違法性の承継」の理論は、先行行為のかしを後行行為に対する争訟において主張しようとする行政行為を受けた国民の立場で問題を把握したものであるが、行政行為の主体である行政庁の立場からみても、先行行為にかしがある場合はそのかしが治ゆされないかぎり、後行行為をなすべき具体的権限は発生せず、したがつて後行行為をすべきものではない。行政庁は行政行為を行なうに当つて、常に当該行政行為をなす具体的権限を有するか否かを確認すべき一般的な義務を持つているのであるから、右のように具体的権限を有しないのにかかわらず、あえて処分を行なえば、その処分は実体的には常に無効である。

(2) 一般に、かしある行政行為もそれが当然に無効でないかぎり司法権によつて取り消されるまでは一応有効であるといわれ、公定力を有するといわれるが、このいわゆる公定力なるものは、かしある行政行為も取り消されないかぎり、これを一応有効なものとすることを行政権に許容する趣旨ではない。行政行為の公定力の問題は行政行為の実体的効力にかかる問題ではなく、行政行為の適否に関する認定権の所在の問題である。すなわち先にも述べたように行政庁が具体的権限を有しないのにかかわらずした処分――かしある処分――は実体的には常に無効なのであるが、それが当然無効なものであると認められないものについては、これをかしなしとする行政権の認定がこれに対立する国民の認定に優越するとされる結果、司法権によつて行政権の認定の妥当力が否定されることにより処分の実体的無効が確定されないかぎり、国民としては一応処分の妥当力を承服せざるをえない地位におかれるにすぎないのである。公定力とは右のように行政庁の認定に国民に優越する一応の妥当力を認めたものにほかならず、処分の実体的効力とは直接の関係を有しないものであり、かかる意味において私法における取り消しうべき行為が取り消されるまでは実体的にも有効であるのと著しく性格を異にするものである。

したがつて、いくつかの行政行為が前後の関係において一連の鎖として結び付いている場合に、先行行為にかしがある場合は、その処分の公定力とは関係がなく、後行行為も実体的には常に違法であるし、行政庁にとつても右後行行為をなすべき具体的権限は発生しないのである。先行行為のかしを理由に後行行為の取消しを認めるというのは、とりもなおさず先行行為のかしが後行行為をなすべき具体的権限の発生を妨げるがゆえに、それを無視してした後行行為が違法であるというに他ならない。かかる意味において一連の手続においては後行行為を行なう行政庁は、それをなすべき義務権限の存否を判断するにあたつて、常に先行行為のかしの有無を確認しなければならず、そして先行行為にかしがあるときは、それが治ゆされないかぎり後行行為をなす具体的権限が発生しないのであるから、後行行為を行なつてはならないのである。

右の理は、一連の手続を組成する数個の行政行為をいくつかの行政庁が分担して行なうという場合でも変わるところはない。ただ行政庁相互間においては、行政庁と国民との間の場合と異なり、行政庁は他の行政庁のした処分の公定力を承認すべき立場にはないから、両者の間で処分の効力の有無についての認定が衝突する場合があるが、このような場合はむしろ公定力の問題としてではなく、行政機関相互の紛争の調整の問題として、一般的には上命下服の理論により、下級機関の職務命令に服するという形で解決されることになるのである。すなわち下級機関はその権限に属する処分をするに当つてそれに先行する他の行政機関の処分が違法であり、その結果みずからの処分もすべきでないと判断しても、上級機関において右先行処分の効力を有効と認める場合においては、結局それに従わなければならないので問題が起ることはない。

ところが本件においては先の最高裁判決が示すように、町長と都知事との関係は通常の上命下服の関係ではないから、先行行為の適否についていずれの認定も他に優先するものではない。したがつて町長としては自己の処分権限の存否を判断するに当つて、独自の立場からそれに先行する処分の効力について判断し、それにかしがある場合はその処分をしてならないのである。

本件において、収用認定、土地細目の公告、協議およびその不成立、裁決申請とその受理、被告町長への裁決申請書類等の送付、公告縦覧手続等の一連の手続は、それぞれ絶ちがたく連鎖しているものであり、収用認定その他の先行行為の違法が公告縦覧手続をすべき義務、権限の存否に影響を及ぼすことは明白であるから、町長はそのすべての行為についてかしの有無を判断してはじめて自己の公告縦覧義務の存否の判断が可能になるのである。本件公告縦覧手続は収用委員会の裁決手続という本来的手続からみれば派生的といえようが、それにもかかわらずこれが土地収用のための一連の手続中不可欠の一環をなすことは、土地収用法第四五条、第四六条に照らして明白であり、先行行為のかしが本件公告縦覧義務に対して影響なしとすることはできないし、それが単なる通知行為にすぎず、またそれが法律上覊束行為であるとしても、本件においては土地収用法、特別措置法に基づく法的義務の存否が問題とされているのであるから、義務とされている行為の内容性質は関係がないというべきである。

それ故に、原被告間の本件先行行為の適否に関する争いは被告の義務の存否にかかわりを持つ事項の一つとして本件訴訟の審理の対象とされなければならない。特に本件収用認定はそれに続く一連の土地収用手続の基本的前提となつているものであつて、このような収用認定に伴なうかし、特に第五の三に述べるように本来収用すべからざる土地を収用しようとする重大なかしは、それに続く一連のすべての手続を違法無効とするものというべきであるから、本件においてその効力についての審理をさけることのできないことは明白であるといわなければならない。

本件公告縦覧義務を直接に規定する土地収用法第四四条第二項が「市町村長は、前項の書類を受け取つたときは、直ちに裁決申請があつた旨……を公告し、……その書類を公衆の縦覧に供しなければならない。」と規定しているところから、右義務の発生に影響を及ぼすべき先行行為のかしの範囲は、おのずから限局されるのではないかという疑問がありうるが、右規定の文言からも明らかなように、裁決申請書写等の受理は、同項に示された市町村長の公告縦覧義務の発生の個別的条件であつて、義務発生の一般的条件ではない。したがつて義務の存在もしくは内容に直接影響を及ぼすような一般的基本的条件の欠けつ――たとえば根拠法規の違憲無効とか、すべての後行行為に共通するような先行行為のかしの存在など――がある場合には、いかに個別的条件が充たされても義務は発生し得ないのは当然である。このことは、換言すれば、いかに右規定に示された個別的条件の内容が単純素朴であろうと、右義務の執行に当たるべき市町村長としては、常に右に述べるような一般的基本的条件の成否について判断し、主張しうるし、またしなければならないことを意味している。本件についていえば、特別措置法の違憲無効、収用認定の違法無効の指摘は、いずれもそれに当たるわけである。

次に右のような一般的条件の欠けつではなく、書類の受理という個別的条件の欠けつの場合であるが、これもまた、義務の発生を妨げることには変わりはない。ところで、同じ先行行為のかしであつても、重要な先行行為の決定的なかしは、すべての後行行為に共通するいわば内在的なかしとなり、個別的条件を経由せずに、直接に後行義務の内容に影響し、これを違法づけるが、これほどに至らない先行行為のかし(きわめて軽微な手続上のかしを除いて。)は個別的条件にのみ影響することになる。そしてこの場合個別的条件の内容と先行行為とが手続上分かちがたく連鎖しているときは、後者のかしが前者に影響し、これを違法づけることは、いわゆる違法性の承継として一般に承認されているところである。かくして個別的条件が適法有効に成就しないときは、本件義務の発生しないこと前述のとおりであるから、被告町長は義務不発生の事由として右のような先行行為のかしを指摘し主張しうることは当然である。本件についていえば、土地調書等のかし、協議事項の不存在等は、裁決申請の前提を欠くに至らしめ、ひいては裁決申請手続のすべてを違法づけるわけである。

かくして、いずれにせよ、被告町長は既述のような地位の特殊性から、機関委任事務であり、かつ、連鎖的手続の一環である法的義務の履行については、独自の認定権をもつものであるから、その義務の発生にかかわる先行行為の法的事由はすべて判断し指摘しうること当然といわなければならない。右条項が「……前項の書類を受け取つたときは直ちに……」と規定するのは、適法に書類を受理したと認めたときは、遅滞なく公告縦覧義務を履行せよということを意味するにとゞまり、被告町長のごとき場合に、その義務の執行に当たつて法的判断を封じ、またその範囲を限局することを意味するものではないのである。

(3) 右の主張に対しては、当然次のような反論が予想される。すなわち収用認定などの先行行為については、これを受たけ国民に争訟の方途が与えられており、なんらの利害関係を有しない町長にはその適否を争う必要がないではないかと。

この反論については、まず本件訴訟が機関訴訟であることに注意する必要がある。この訴訟では、「法律上の争訟」と異なり、個人の権利、義務がかかわりを持つという意味での利害関係などは始めから存しないのである。町長のごとくその手続を組成する行為をなすべく義務づけられている行政庁は、自己の義務の存否を判断するために先行行為の適否を判断するのであつて、先行行為の適否を争う権利がその行為の相手方にあるかどうかは関係がないというべきであるから、右のごとき反論は理由がない。

また、先行行為について出訴期間を経過した結果、処分を受けた国民がその違法を争いえなくなつたような場合、たとえば本件において、収用認定などの先行行為が不可争性を帯びるに至つた場合に、町長はその不可争性を承認しなければならないかという問題が生ずるであろうが、しかし右の不可争性は処分をうけた国民に対する関係で意味を持つにすぎないのであつて、行政庁である町長に対してはなんらの意味を持たないから、町長としてはなおその適否を判断しうることは明らかである。

(四)  職務命令の公定力について

原告は、本件訴訟においては裁判所は本件職務執行命令の無効事由の存否だけについてのみ審査でき、取消事由の存否の審査はできないと主張するが、これは公定力の理解について最も初歩的な誤りをおかしているもので、主張自体理由がないものである。すなわち前記のように行政行為ないし職務執行命令の公定力とは、それが無効である場合を除いて、一定の争訟手続を経て正式に取り消されるまでは適法の推定を与えられ、相手方および第三者を拘束する力を認められることをいい、そこにいう一定の争訟手続とは訴願およびこれに続く訴訟を意味するのであるから、このような争訟手続自体において当該処分の適否の判断を下す裁判所自体が適法の推定を強いられるとする論のごときは全くナンセンスである。しかしながら原告主張の決定的な誤りは、本件職務執行命令訴訟制度の本質を依然として理解せず、本件職務執行命令を一般の職務執行命令と全く同質のものとして、公定力の存在を前提としているところにある。本件職務執行命令制度は後に詳述するように、国がその委任事務を執行する立場に立たされた地方自治体の首長を指揮監督する場合に、それにふさわしい手段として用いることを認められた司法的強制の制度であつて、それは国政事務の遂行と地方自治の本旨の確保という二つの要請を矛盾なく調整するため、一方の判断を他方のそれに優越させず、すべてをコモンローの前に平等に立たしめる英米の法理、具体的にはマンデマス・プロシーデイングのテクニツクを採用したことに由来するのである。したがつていずれにしても本件の職務執行命令には、一般の職務命令に附与されている伝統的(プロイセン的)な公定力や執行力は全然予想されていない。原告の主張の誤りの根源はここにあるのである。

また原告は「かしある行政処分によつて権利侵害を受けた者がその取消しを求めようとする本来の争訟においてさえも、一定の出訴期間経過後は当該行政機関の自発的善処にまかせて、裁判所は審査権を有しない制度の趣旨をも考えると、権利侵害を要件としない職務執行命令訴訟において裁判所が取消原因たるかしの存否についてまで審査することはできないものと考える。」と主張するが、これは被告の理解を絶する暴論といわざるをえない。なぜ機関訴訟が抗告訴訟とパラレルに考えられるのか、ことに抗告訴訟における出訴期限の存在がいかにして機関訴訟における審査権の範囲の限定の論拠となりうるのかについてはなんらの説明もないし、また恐らく合理的な説明は不可能であろう。この主張もまた、前記のような本件職務執行命令の本質について理解を欠くことによることは明白である。

そこで以下において、本件職務執行命令が公定力、拘束力を有しえないゆえんを明らかにし、本件訴訟において、裁判所の審査権が職務命令の取消事由の存否についても及ぶものであることについて詳論する。

(1) 指揮監督権の多義性と本件指揮監督権の特殊性について

地方自治法第一五〇条は「普通地方公共団体の長が国の機関として処理する行政事務については、普通地方公共団体の長は、都道府県にあつては主務大臣、市町村にあつては都道府県知事および主務大臣の指揮監督を受ける。」と定めており、この指揮監督の手段として町長は都知事の職務執行命令を受けることになるのである(同法第一四六条)が、はたして右の「指揮監督」は命令の公定力、拘束力と必然の関係に立つものであるかどうか、また上級機関の指揮監督は、多くの実定法規(同法第一五四条、第一五七条、第二四六条の四等)に見出されるが、これらは一義的に内容を同じくするものであるかどうか、まずここでの「指揮監督」の意味と内容が問題とされなければならない。

一般に行政が厖大な国政の執行として権力的技術的性質を有するところから、そのための行政組織は上下の命令服従関係から成り立つ階層性を特質とし、この点において同列、独立の関係を基幹とする司法組織と区別されるといわれる。そしてこのヒエラルヒー的構造は単なる直線的な上下の関係ではなく、同位に並列された下級の行政単位が底辺となり上級にのぼるに従つて底辺が短縮されるというピラミツド構造をなしている。国家行政組織法第二条第一項が「国家行政組織は、内閣の統轄のもとに、明確な範囲の所掌事務と権限を有する行政機関の全体によつて、系統的に構成されなければならない。」と定め、同条第二項が「国の行政機関は、内閣の統轄のもとに行政機関相互の連絡を図り、すべて一体として、行政機能を発揮するようにしなければならない。」としているのは、右の構造原理を確認するものといえよう。そしてさらにこのピラミツド的構造を支える原理として、一つは分配の原理が、もう一つは結合の原理が挙げられる。分配の作用は絶えず仕事を分割し職員を分離することに現われるが、さらにこれらの職員は絶えず彼らが奉仕する本来の目的に基づいて幾つかの単位およびより大きな集合体に結合され、厖大な行政組織の機能の統一と発展が可能となるわけである。

ところでこのようにして分配される数多くの個々の事務ないしそのための官職を結合せしめるものが、すなわちそれぞれの事務に伴う「指揮監督権」である。責任の軽い単純な事務を遂行すべき数多くの官職と、より責任の重い複雑な事務を遂行すべき官職とを後者の事務に前者のそれらの指揮監督権を附随せしめることによつて結合し、さらに後者の官職とそれよりも責任の重い複雑な事務を遂行すべき官職とを同様のしくみで結合せしめる。これを幾度か繰り返して行くことによつて遂に最高の行政職(内閣)に達し、かくてピラミツド構造の全体系が実現するのである。前に引用した地方自治法第一五〇条や、国家行政組織法第一〇条等はこの趣旨をいうものであり、またそれ以上のものではない。

しかしながら、厖大な行政組織のピラミツドの中には、その地位や機能を異にする様々の構成分子が存在し、性質を異にする多様な行政事務が含まれているのであつて、そのネツトワークは決して均質ではない。たとえば、同じ国の行政機関であつても、内部部局とされる府、省と行政委員会や庁とではその所掌の事務の性質がかなりちがい、ことに人事院のごときは相違が著しい。また同じ内閣の統轄下にあるとはいえ、いわばその包括的な支配を受けるとされる一般行政職員と、委任された国家事務の遂行の一面においてのみ支配される地方公共団体の長とでは、その地位の独立性においてかなりの懸隔がある訳である。

このことは、今日の複雑多岐を極める国民生活の発展的様相と、益々これに介入することを余儀なくされ、極度にふくれ上つた行政権の組織の大きさからすれば当然の結果であつて、むしろこのような厖大な行政機能をもなお統一的ピラミツド構造の中に組み入れ、国がこれに対する指揮監督権を留保することによつて、国の行政を一体として有機的に運営し、もつてその負託に応えることが可能になるのである。したがつて、多様な事務を統轄し、多様な機関を支配するために、おのずから国の指揮監督もそれぞれに即応した内容のものとならざるを得ず、ここに指揮監督の多義性が導かれる。

実定法の上でもこのことは指摘できるのであつて、内閣の統轄下におかれながら人事院や公正取引委員会には人事と予算を通ずるコントロールを除いていわゆる内閣の指揮監督は全面的に排除されているし(国家公務員法第四条第四項)、国の機関の中でも外局は内部部局と違つて主務大臣の統督が間接であるため、やや指揮監督が緩和されると解されており(国家行政組織法第一〇条等)、また本件訴訟のように、地方公共団体の長に対する指揮監督には一般職員の場合には見られない司法的強制の方法がとられている。このようにして国の指揮監督は当該行政機関の性格や事務の特質に応じて多岐にわかれ、その方法として職務命令(訓令)がだされる場合も、その拘束力や執行力は必然的なものとはされないことが明らかであるといわなければならない。

ところで本件の場合は、被告町長は地方住民により公選された地方公共団体の首長であつて、通常の行政組織のヒエラルヒーに組み入れにくい極めて特殊な独立性自主性を持ち、身分的にも国に隷属する一般職員とは全くその地位を異にするから、大臣や都知事の指揮監督を受けるとはいえ、その内容や手段としての職務命令の効力についても一般職員に対するそれと同一に解することはとうていできないし、事実、実定法も町長に対する命令を執行させるために一般とは全く異なつた本件のごとき訴訟制度を採用するなど、一般とはかなり異なつた取り扱いをしているのである。

また本件町長に対する指揮監督の内容を考える場合、課せられた事務が国よりの「委任」に基づくものであることにも注目しなければならない。国家機能が厖大化した今日、なおその統一性を確保するためには、行政事務をできるだけ下級機関に委任し、自らはこれを行なわずにただ指揮監督することによつてのみ最終的な決定権を留保するにしくはない。これを講学上、権力の分散というが、この権限の委任は、上級機関をその事務から解放し、より広い範囲への支配を可能ならしめるが、同時に当該下級機関の行動を上級機関の強い指揮監督から解放することを意味する。したがつてこの場合の指揮監督が単なる執行補助者としての下級機関に対するそれに比べてはるかに緩かな性質のものとなることは理の当然である。実定法が、前者については「自らの判断と責任において」執行すべしと定め(地方自治法第一三八条の二)、後者についてはひたすら「上司の職務上の命令に忠実に従わなければならない」としているのも(地方公務員法第三二条)、その間の消息を物語つているということができよう。

このようにピラミツド的行政組織の中における上命下服関係にあつても、その指揮監督は決して一義的な内容のものではなく、まして原告のように職務執行命令の公定力、執行力を必然的な内容として肯定することが不可能であること、そして本件町長に対する都知事の指揮監督がかなり一般とは異なつた特殊性をもつていることは明らかである。原告は本件職務執行命令を通常の上級、下級行政機関相互間の職務命令と同一視している点において根本的な誤りをおかしているのである。

(2) 公定力の理論とその限界

以上述べたことを前提とし、本件のごとき職務執行命令が原告のいうように公定力、執行力を持つものであるかどうかを検討してみる。

本件職務執行命令は、東京調達局長の収用委員会に対する裁決申請書の公告縦覧という具体的な国の委任事務の遂行をめぐつて、指揮監督権の発動として原告都知事より下級機関たる被告町長に発せられた訓令である。この意味における具体的個別的な訓令―一般的な事項についての法規命令ないし規則たる訓令と異なつた―は、法的には同時にその地位にある被告個人に対する職務命令としての性質をも有するが、さらに職務命令は、通常一般権力関係における行政行為に準じて公定力、執行力等を有すると解されているので、本件職務執行命令が公定力や自力執行力をもつか否かが問題となるのである。

ところで、さきにも述べたように、一般に行政行為は絶対無効と認められる場合を除いて原則として適法の推定を受け、たとえ違法のかしがあつても一定の争訟手続においてそれが取り消されるまでは相手方および第三者をも拘束する力(公定力)を有し、相手方の意思如何にかかわらず、自らその内容を強制し実現しうる力(執行力)をもつとされている。これは、私人相互間では各々の意思の力が対等であるのに比して、国家と人民との間においては意思の力に優劣強弱の差等があり、国家の意思が優越的な効力をもち相手方の意思にかかわらずその一方的意思をもつて何が法であるかを決定しうべく相手方はその効力を否定できないからであると説かれる。そこでは君主という身分的人格に代つた意味での法人格としての優越力を有する国家と、ひたすら権力に服従する義務をもつた臣民というシエマーが前提されており、全体主義的な法思想が背景を形づくつている。行政行為の理論が帝政プロシアに誕生し、戦前のドイツやわが国のごとき全体主義国家において支配的であつたのは、けだし当然である。しかも何が故に国家は人民に対して優越性をもち、行政行為に右のような公定力が付与されるかという理論的根拠になると、それは甚だしく瞹昧であり、権威主義的であるのが特徴的である。

これに対し全く対蹠的であるのは、司法国家体制をとつている英米の法思想である。ここでは行政行為は当然には公定力や執行力をもつとはされず、行政的法規または命令によつて課せられた義務の履行を確保するについては司法手続にまつべきものとするいわゆる司法的強制が原則となつている。そして国は私人の総意であるが故に必ずしも私人に優越せず、法のみが何者にも増して優越するという「法の支配」の原理のもとに、私法行為と公法行為は特に異別の性質をもつとされず、同じ基準で律せられ、行政に関する訴訟も通常の民事訴訟と同じく普通裁判所で審査され、司法的強制のために、行政庁が私人と同じ立場にたつて民事訴訟を提起し、行政客体に特定の業務遂行を命ずる裁判を請求する様々な訴訟手続――差止命令、マンデマス等が認められているのである。このような司法的強制は行政権から独立な公平な第三者としての裁判所の判断に問題を委ね、個人を行政権の専断的行動から保護するものであり、また、そこにおいて行政的客体が行政的命令の正当性を争い得るから法強行の手段たると同時に、防禦的救済手段として個人の権利救済の上に重要な役割を演ずるとされているのである。

ところで本件職務執行命令訴訟は、右の英米におけるマンデマスプロシーデイングのいわゆば直訳的訴訟制度であつて、まさに命令の司法的強制のための手続というべきことは疑う余地がない。このことは職務執行命令がいわゆる自力執行力をもたないことを理論の前提としてはじめて可能であり、その限りにおいて公定力の存在もまた否定される。また、行政行為に公定力が認められて適法性が推定される場合にはこれを争う人民の側から争訟が提起されるべきであるのに、本件の場合は争われる行政庁の側から当該行政行為が法的要件を具備することの判断を求める訴訟が提起されなければならないのであるから、この点からも本件のごとき職務執行命令に公定力のないことが首肯できるのである。

(3) 英米のマンデマスプロシーデイングにおける司法審査の範囲

そこで次にわが国の職務執行命令訴訟制度の母体となつた英米法におけるマンデマスプロシーデイングにおける裁判所の司法審査の範囲を考えてみる。英米においては、マンデマスは法によつて覊束された権限行使を行政官庁が違法不当に拒んでいるとき、これによつて不利益を被る者がその行使を裁判所に命じてもらう手続をいい、他に適当な救済手続がないときに認められる普通法上の救済方法であるとされ、ふつうの民事訴訟と同じく法律上の不利益を被る私人から当該公務員に対する訴追という形で提起されるが、地方自治法第一四六条はこの訴訟形式を、国の事務を執行する場合における主務大臣、都道府県知事、市町村長の間の執行を確保するために採用したものであり、本件訴訟における司法審査の範囲を考えるについては、英米法における右手続の司法審査の範囲は決定的意味を持つものといえよう。(もちろんわが国における司法審査権に関する一般的見解が考慮されなければならないが、本件訴訟が特殊な機関訴訟として設定されていることからすれば、法の設定の趣旨が特段に顧られなければならない。)

しかして今日米国においては、司法審査の範囲について法律問題は完全に司法審査に服し、さらに事実問題についても、それが実質的証拠によつて裏付けられているかどうかは法律問題であるとされ、そのかぎりにおいて司法審査に服するものとされており連邦行政手続法第一〇条(e)項もその旨を明言している。

すなわち、事実問題は別として、こと法律問題に関する限り、憲法、成文法律、コモンローのすべてにわたつて裁判所の審査が及ぶことは疑いをいれないところであつて、この機能は成文法に定める特別の審査手続たると、普通法や衡平法によるマンデマスや差止命令の訴訟たるを問わないのである。

以上述べて来たように本件職務執行命令は通常の上・下級行政機関相互間の職務命令とその性格を著しく異にし、元来いわゆる公定力ないし執行力を前提とするものではなく、その母体となつた英米法においても裁判所の審査はこと法律問題にかんするかぎり、すべてに及びうるとされていることからみても、裁判所が原告都知事の命令の違法事由一般を審査すべき職責を持つことは明らかであり、原告がかかる点をかえり見ることなく単純に本件職務執行命令に公定力があるものとし、権限ある行政機関によつて取り消されないかぎり裁判所といえども単に無効事由のみしか審査できないとすることが誤りであることは明らかである。

この際特に留意されなければならないのは、本件における訴訟物が被告の判断権限ないしその地位ではなく、まさに執行命令そのものであるということである。もちろん両者は密接不可分で、被告のさような地位が本件訴訟の特質に反映具現されたのであるが、いやしくも一旦執行命令が裁判所の審査に委ねられた以上、裁判所は執行命令の違法一般について無効原因たると取消原因たるとを問わず審査しうるし、また、それを避けることはできない。

原告は、裁判所の審理権の範囲を被告の判断しうる範囲に限定すべきであると主張するが、所論は、ひつきよう、裁判所をも行政機関としてうける拘束のもとに置くことになり裁判所の当然有する審理権、特に法令審査権を不当に制限するものであり、もし、裁判所が右の拘束に服するとすれば、法令審査権を放棄し、実質的に違憲な内容の判決をする意味で、憲法第九九条に違反し、また原告の内容的に違憲違法な請求を、そのまま認容しなければならぬとする意味で、原告のクリーンハンドの原則違背を肯認せざるを得ない結果となる。

第五、被告の主張(原告主張の義務が被告に存在しない理由)

東京都収用委員会から被告に送達された本件裁決申請書等は、旧特別措置法第三条、第一四条に基づいて送達されたものである。しかし同法の前提となつている旧安全保障条約、行政協定はいずれも違憲無効であるから、同法も違憲無効であり、したがつて右裁決申請書等の公告縦覧の手続を命ずる本件職務執行命令は違憲無効な法令の執行を命ずるものであるから被告はこれに従う必要がない。のみならず、旧安全保障条約および行政協定が新安全保障条約および駐留協定の発効によりその効力を失なつたのに伴ない、旧特別措置法が改正されて新特別措置法となり被告の本件公告縦覧義務が同法により生じているとされている現在においても、同法の前提となつている新安全保障条約、駐留協定が違憲無効であるから、同法は違憲無効であることを免れず、いずれにしても本件職務執行命令が違憲無効な法令の執行を命じているものであることには変りがない。のみならず本件職務執行命令の前提である本件収用認定や本件裁決申請手続にも違憲違法があり無効であるから、この点からも被告には本件職務執行命令に従う必要はないのである(なお、旧特別措置法によつてされた行為が新特別措置法によつてされたものと見做されるにいたつているにしても、旧特別措置法による行為が違法無効であれば、新特別措置法上もその効力を生じないのであるから、本件においてもまず旧特別措置法の効力を判断すべきであることは明らかである。)。

なんとなれば、かかる違憲無効な法令や命令を執行すると、被告は公務員としての憲法尊重擁護義務(憲法第九九条)に違反することとなり、町長(普通地方公共団体の執行機関)としては、「国」の事務を「自らの判断と責任において誠実に管理しおよび執行する」義務(地方自治法第一三八条の二)に違反することともなるため、何人の命令を受けてもこれを執行すべきではないからである。以下においてその理由を詳論する。

一  旧特別措置法の違憲無効理由その一

同法は行政協定を実施するため、駐留軍の用に供する土地等の使用または収用に関して土地収用の特則を定めたものであり、その効力の発生は行政協定の発効を前提とするものであるが、行政協定は次に記す理由によりその成立手続が違憲であるため不成立であり、いまだ発効してないので、同法は第三条および第一四条を含めていまだ発動することを得ないものであり、無効である。

すなわち、行政協定は昭和二六年九月八日締結され第一二回国会において国会の承認を受けて昭和二七年四月二八日に公布された旧安全保障条約第三条に基づいて昭和二七年二月二八日日米間において締結されたものであり、同条約の関係文書として公布されたものであるが、同協定は、憲法第七三条第三号にいう条約に該当し、したがつてこれを締結した政府は事前、時宜によつては事後に、国会の承認を経ることを必要とするものであるが、同協定についてかかる承認がなされた事実はない。けだし、(イ)憲法第七三条第三号にいう条約がひろく国家間の文書による合意を含むものであつて、それが条約と呼称されるかどうかにかかわりがないことは異説をみない。行政協定がとくに行政協定と呼ばれたのは、アメリカにおける条約と行政協定との区別に関する慣行によつたものであつて、それが条約でないことによるものでないことはいうまでもない。(ロ)さらにまた、行政協定は政府間の日常的な外交文書でないことはもちろん、旧安全保障条約の実施細目を定めるための技術的、事務的取極めや、また同条約の委任に基づく受任命令的内容を有するにすぎないようなものではない。旧安全保障条約第三条は「アメリカ合衆国の軍隊の日本国内およびその附近における配備を規律する条件は、両政府間の行政協定で決定する。」と定め、アメリカ合衆国の軍隊の配備を規律する条件について一言半句も定めることなく、そのすべてを行政協定に譲つているが、配備規律の諸条件のすべてを規定する協定を事務的、技術的な実施細目と呼ぶことはできない。また同条は右の諸条件についてなんらの内容をも示さないのであるから、それらについて行政協定への委任を定めたものとみることもできない。条約の委任は、法律の委任と同様具体的、個別的に限定された事項について行なわれることが必要であり、どういう場合にも国会が条約承認権を独占するという憲法の根本建前を否定するような程度の委任―白紙委任または授権立法―は許されない。かように行政協定が国会の承認を受けるべき条約であることは疑いをいれないところであり、また、第一二回国会において政府の明言していたところでもあつたのである。(ハ)さらにまた、第一二回国会は旧安全保障条約を承認したけれども、この承認によつて、行政協定についても事前に併せて承認があつたものとみることはできない。すなわち、それが同時に行政協定の承認となるためには、国会の承認が行なわれる際に行政協定の内容がそのすべてにわたつて明白となつており、明白な内容をもつものとして国会に承認が求められていたのでなければならない。しかるに第一二回国会においては、行政協定の内容は一切不問に付せられたまま、その片鱗さえも明らかにされるところがなかつたのである。したがつて、旧安全保障条約の承認によつて行政協定の承認もあつたということはできない。(ニ)またさらに、旧特別措置法の国会による可決成立によつて土地の使用収用に関する範囲において行政協定の承認があつたものということもできない。条約の承認と法律案の可決成立とは、その憲法上の性質、手続を全く異にするからである。

二  旧特別措置法の違憲無効理由その二

憲法第九条は、凡そ侵略を目的とする戦争であれ、自衛権の発動たる戦争であれ、一切の武力の行使、威嚇および交戦権を全面的に否定し放棄する原則と一切の戦力(War Potential)を所持しない原則とをあわせ規定している。ところで旧特別措置法は旧安全保障条約および行政協定を実施するための国内法上の措置であるところ、右旧安全保障条約や行政協定は次のような理由で憲法第九条に反する違憲無効なものであるから、これを実施するための右特別措置法も違憲無効であることは明らかである。

すなわち (1) 同条約は単に日本国の安全のみならず、日本国以外の外国の紛争に対して米国軍隊(同条約第一条にいうアメリカ合衆国の陸軍、空軍及び海軍をいう。以下単に米軍あるいは米国駐留軍等というのはすべてこの意味である。)が武力を行使するために、日本国内に駐留する基地を提供するものであり、このことは、憲法第九条の宣明する絶対平和主義の原則に真向から抵触する。なんとなれば、同条約第一条は、米国軍隊の使用目的として、冒頭に「極東における国際の平和と安全の維持に寄与すること」をかかげ、「並んで」日本国の安全のためにこれを使用することができるとしているのであつて、右条文の趣旨からすれば、右両目的は併存し、日本国の安全防衛以外にも「極東における平和と安全」のために日本国内に駐留する米国軍隊は使用されるのである。ここにいう「極東」とは、少なくとも日本国以外の外国を含んでいるのであつて、外国に生じた紛争(たとえそれが外国の自衛権による武力の行使であつても)に対し、米国軍隊がその武力を行使し、極東にある外国と戦斗状態に入るについて、これに日本国が援助を与え、米国軍隊を駐留させ、かつ、基地を提供することは、全く日本国自体の自衛権を逸脱しているといわざるを得ない。したがつてこのように、特定国の軍隊に日本国法上の特典を与え、一方日本国が右の紛争に関し、米国軍隊の武力行使に対して援助を与え基地を提供すべき義務を負うことが憲法第九条に反することは明らかである。

(2) 次に、旧安全保障条約が専ら日本国の安全防衛のみのために米国軍隊が駐留し、侵略に対して武力行使をすることを定めているとしても、なお、同条約は憲法第九条に反する。

(イ)  憲法第九条が自衛権自体を認めているか否かはともかくとして同条は少なくともその行使の方法としての武力の使用および交戦権は一切これを否定し放棄しているのであるが、同条約によると、日本国に自衛のための武力使用および交戦権の存することを前提としたうえ、現実には武装解除されてこれを行使できないから、漸増的にこれを行使しうるまで、米国軍隊がかわつて日本国の防衛に当たる、としているのである。その目的如何を問わず全面的に交戦権を放棄した日本国が自衛権としての交戦権の行使を特定国に委任することはできないはずである。しかるに、同条約では、日本国に対し外部から侵略行為があつたときは、米国駐留軍の武力行使によつてこれを阻止し、もつて日本国の防衛をするというのであるから、日本国は憲法上みずからの手によつて行使できない権利を他国の軍隊を通じて行使するという不当な結果を生ずる。これは明らかに憲法第九条の趣旨に反するといわなければならないのであつて、かかる軍隊の駐留を認め、その用に供するため日本国民の所有する土地を強制的に収用する旨を定めた旧特別措置法は違憲無効であることを免れない。

(ロ)  次に、旧安全保障条約および行政協定によると、日本国は条約上の権利として、米国駐留軍の出動による武力行使を要請することができ、また、条約上の義務として米国駐留軍と必要な共同措置をとらなければならないこととなり、直接および間接に米国駐留軍に対し日本国防衛上の武力行使を認める結果を生じている。

すなわち、旧安全保障条約第一条では、米国駐留軍は外国の干渉によつて惹き起された日本国内における大規模の内乱等を鎮圧するため日本国政府の明示の要請に応じて与えられる援助を含めて、外部からの武力攻撃に対する日本国の安全に寄与するために使用できることとなつており、行政協定第二四条では、日本区域に敵対行為等が生じたときは日米両国はその防衛のため必要な共同措置をとり、かつ、右条約第一条の目的を遂行するために協議すべき旨が定められている。

右の共同措置とは当然軍事的共同措置を含むものであり、また、防衛義務のある米国が日米安全保障条約により侵略国に対し宣戦を布告し、または戦斗状態に入れば、日本国もまた同様の戦争状態に入ることは条約上必至である。

このように、米国駐留軍は日本国自身の軍隊ではなく、また直接その指揮下にはないにしても、駐留軍による武力行使と日本国の交戦権の行使とは、条約上密接不可分の関係にあるのであつて、この点からしても憲法第九条に違反する。したがつてかかる条約および協定を実施するための国内法上の措置であるところの旧特別措置法は、違憲無効であることを免れない。

(ハ)  さらに前記条約および協定は、同じく憲法第九条が定める戦力不所持の原則にも違反する。

憲法で禁止する「戦力」の意義については争いがあるけれども、日本国内に駐留する米国軍隊のように、原子砲その他現在の世界の軍事文明において最高度の兵器を所持する軍隊が「戦力」に当ることは異論がない。そして国の最高法規である憲法が日本国が戦力を保持しないとする趣旨は、日本国および日本国民による軍隊およびその基地等を保持しないという意義のみならず、その主権の及ぶ範囲内において、いかなる戦力をも存置しないという意義をも有する。憲法第九条が「日本の戦力」のみに関する規定であつて外国の戦力を日本の領土内に所持することを禁止するものではないとする説は、法の属地的効力を無視するものである。

(ニ)  さらにまた、同条約は、日本国が自衛のための戦力を持つべきことを予定している。

すなわち、同条約前文末尾には、日本国が漸増的に自衛のための責任を負うことを期待する旨明記している。これは単なる希望条件と解することはできず、実質上日本国に再軍備を義務づけているのであつて、現に日本国の再軍備と戦力保持を規定した日米相互防衛援助協定(MSA協定)の前文は、右協定が同条約前文中の右趣旨に基づくものであることを明記している。このように同条約が日本国の再軍備を予定しこれを前提とすることが憲法第九条に反することは明白である。したがつて右条約および行政協定を実施するための国内法的措置として制定された旧特別措置法もまた違憲無効である。

(ホ)  またさらに同条約および行政協定は、国際連合憲章の趣旨にも反し、とうていわが憲法に適合するものとはいえない。同条約は同憲章第五二条による地域的取極めに該当するという説をなすものがあるが、失当である。同憲章第五二条は、国際平和および安全維持に関する事項で地域的行動に適当なものを処理するための地域的取極めを認めているが、その取極めまたは行動が国際連合の目的および原則と一致することを条件としている。そうであるとすれば同条約および行政協定のように第二次世界大戦中の敵国でなかつた特定国を軍国主義であるとして仮想的な対象とし、これに対して他の特定の一国のみの国内駐留を認めてその武力の行使を許容する内容の条約協定は、「一生のうち二度まで言語に絶する悲哀を人類に与えた戦争の惨害から将来の世代を救い、このために、寛容を実行し、かつ、善良な隣人として互に平和に生活し、国際の平和および安全を維持するためにわれらの力を合わせ、共同の利益の場合を除く外は武力を用いないこと・・・・」(憲章前文)を目的とし、「国際的の紛争の解決を平和的手段によつて、かつ、正義および国際法の原則に従つて実現すること」(憲章第一条)を定めている国際連合の目的と原則に反するものである。特に同憲章第五三条には、地域的取極めに関して「いかなる強制行動も、安全保障理事会の許可がなければ地域的取極めに基づいてまたは地域的機関によつてとられてはならないい」旨規定されているにもかかわらず、同条約および行政協定には、米国駐留軍が軍事的行動をとるについて、国際連合および安全保障理事会の指示または許可をうけるべきなんらの規定もない。このことは、米国という特定国の駐留軍が国際連合の軍隊としての機能を営むものではないことの一端を示しているといわざるを得ない。したがつて、いずれの点よりするも、右の条約および協定による米国軍隊の日本駐留は、国際連合憲章の趣旨にも反しているし、到底これを国際連合の軍隊と同一視することはできない。また、たとえ国際連合の軍隊を日本国内に駐留させ、日本国の自衛権の発動にかわつてその武力行使を認める条約が結ばれたとしても、その条約としての効力、国際法的な評価は格別、国内法秩序としては、依然として憲法第九条に違反する結果を免れ得ないであろう。まして特定国の軍隊を駐留させ、その武力行使を認めるにおいておやである。

(ヘ)  なお、憲法第九条に違反するか否かを判断するに際しては、単に同条の規定する範囲にとどまらず、あわせて、憲法前文の規定する絶対平和主義の原則に照して検討する必要がある。すなわち憲法前文は、その冒頭に「政府の行為によつて再び惨禍が起ることのないようにすることを決意し」てこの憲法を確定したと宣言し、「日本国民は恒久の平和を念願し」「平和を維持し」「国際社会において名誉ある地位を占めたい」とのべている。これらがどのような日本国民の惨禍と苦痛の歴史の上に築かれたか、また、このような憲法の強い表現をいかなる決意をもつて採択したかについては、いまさらうんぬんする必要はあるまい。憲法制定に際しては、右に表現された信念をもつて第九条を設けたのであつて、ある特定国の軍隊を日本国内に駐留させ、それに日本国のため自衛権の発動たる武力の行使を代行させるというようなことは、憲法前文の絶体平和主義の原則に反する結果となることは明白である。

したがつて、いずれの点からみても、特定国の軍隊を駐留させこれに基地を提供するために、国民の所有する土地を強制収用する旨等を定めた特別措置法は、違憲無効である。

(ト)  なお、条約は憲法に優位し、その内容が矛盾するときは、その範囲で、憲法が修正され、かつ、条約は裁判所の違憲審査権の対象となりえないと説くものがあるが、本件ではあくまで、職務執行命令の根拠法である特別措置法自体の違憲無効が問題とされているのであつて、その範囲において、条約、協定の趣旨が参考に供されるのであり、直接条約の効力をうんぬんするものではない。また条約の国内法的効力については、もとより、憲法を最高法規とする国内法秩序の評価をうけるべきものであると考える。

三  内閣総理大臣の収用認定の無効

本件裁決申請の大前提である内閣総理大臣の収用認定は、地方自治の本旨に反する点において憲法第九二条に違反し、また、国民の財産権の保障に反する点において憲法第二九条に違反し、結局旧特別措置法第三条に規定する「適正かつ合理的」の要件を著しく欠いた違憲かつ違法な処分として無効であり、右収用認定の有効を前提とした本件請求は理由がない。すなわち

(1)  駐留軍用軍事基地設定に伴ない、いずれの基地の住民も文化的、衛生的、教育的、経済的その他凡そ近代人の生活に必要なすべての面において計り知れない害悪を被つている。そして全国六五七か所総面積四一、〇〇〇万坪に上るぼう大な軍事基地をアメリカ軍に提供している日本国民は、直接または間接に、全国民が右同様の害悪の虜となりつつあるということができよう。

右の害悪から国民を守り、その財産権および生存権等の保障を求めるため、全国からアメリカ軍の駐留に反対の声が挙つており、このことは本件についても同様である。以下において本件内閣総理大臣の収用認定が「適正かつ合理的」の要件を欠いている諸点をあげる。

(2)  本件土地所在の砂川町は、武蔵野台地の西方狭山丘陵と多摩川との中間に位置し、地元農民の祖先が今を去る三五〇年の昔に開こんの第一歩をふみだし、爾来十数代に亘つて営々として切り開き、現在にみられる沃野が生成されたもので、東西約二里五丁南北は最も広い所で僅か三〇丁余りという狭少な町で、街の中心部を東西に五日市街道が走つており、町の総面積は一、四〇〇町歩、このうち耕地は約一、〇一〇町歩、宅地約八〇町歩、人口は一三、〇〇〇人である。

(3)  この町は大正年代の立川陸軍飛行場の設置以来荒れ狂う日本軍国主義の嵐に木の葉のごとくさいなまされ、昭和一六年にいたる期間に右立川飛行場、東京少年飛行学校及び横田飛行場のために前後九回約五一万坪の土地を接収され、日本国の敗戦後においても、アメリカ合衆国の占領軍のために、昭和二一年一一月なんら権利者に通告もなく突如として米軍のブルトーザーの音も喧しく作物ごと農地を接収されて以来、前後六回に亘り約二二万余の農地基地がたちまちにして飛行場とされたのであつて、その総面積は砂川町全耕地の四分の一に達する広さである。

(4)  また、太平洋戦争中立川飛行場があることによつて砂川町民のうけた物的人的損害は、全焼家屋一四九戸、半焼壊家屋一一一戸、死者二五人、負傷者一三人に達し、さらに昭和二六年にはアメリカ軍飛行機の事故により全焼家屋四戸、損壊家屋一〇七戸に上つているが、被害はこれらにとどまらず、昭和二二年から同二六年にいたる間の降雨による本件土地および同地上家屋に対する侵水、飛行機の爆音による学校、町役場、農業協同組合、郵便局における、または一般住民のうける教育上、執務上、勤務上、健康上その他の損害および飛行機墜落等の危険よりする精神的損害もまた甚大なものである。そして本件収用認定により将来砂川町民の蒙るべき前記損害は、いずれも数倍に達するものと考えられるのである。

(5)  特に飛行場滑走路延長による本件土地に対する収用認定によつて、砂川町の動脈五日市街道は東西に二分され、全くその機能を停止せざるをえない状態に陥るのである。すなわち五日市街道は、砂川町民にとつて物資の運搬、隣接市町村との交通等の上から重要かつ必須の道路であるが、本件土地収用認定に伴なう滑走路延長により右道路は道路としての価値を喪失することにより地元農民を始め砂川町民等のうける損害は莫大なものといわざるを得ず、さらに帯状の町の中心部に楔が打ち込まれることによつて町は東西に寸断され、普通地方公共団体たる町の存立自体が危ぶまれるにいたるのである。

(6)  そればかりでなく、日本においては全国土に対する耕地面積の割合が低率であり、また、一戸当りの耕作面積の狭少であることは公知の事実であるが、地元農民も現在においてはようやく農家経営上最少限の土地を保有し、耕作しておるが、本件収用認定により農家経営が不可能になるのみならず、農地の喪失により将来の生活の基礎を失うこととなるのである。

(7)  またこれを風紀上からみれば、本件土地は立川飛行場の周辺に位置し、隣の立川市に一度足をふみ入れた者は、街を彩る植民地様相にアメリカ西部に来たのかとの錯覚にとらわれるのであるが、本件土地所在町である質朴な砂川町においては、昭和二八年一二月、アメリカ軍駐留による風紀のびん乱を防止するため売春等に関する諸行為を取り締り、善良なる風紀と質朴なる環境を保持し、社会秩序の健全なる発展と平和な住みよい郷土の建設を図ることを目的として、砂川村風紀取締条例を制定したがこのような取締りをもつてしてもなお郷土の風紀および秩序の頽廃を防止しえないのである。

(8)  さればこそ今次の拡張計画については、町を守るため、地元民を始め町議会、他町内各種団体においても反対を決議し、町ぐるみになつて反対に立ち上つたのであり、北多摩郡下の市町村長、市町村議会、各種団体においても右趣旨のもとに、基地反対の決議をし、さらに都議会も善処分を要請する決議をしたのである。

(9)  以上の諸点よりすれば、本件土地をアメリカ軍の用に供する内閣総理大臣の本件収用認定は、地方自治体の存立を毀損する点において地方自治の本旨である住民自治の保障(憲法第九二条)に違反し、かつ、町民の農地等の収奪を目的とする点において、国民の財産権の保障(憲法第二九条)に違反することを免れないものであつて、あわせて旧特別措置法第三条に規定する「適正かつ合理的」の要件をも著しく欠いた違憲かつ違法な処分として無効といわねばならない。

四  裁決申請手続の違法その一

東京都収用委員会には、本件裁決申請書を受理し、その手続を進める権限がない。すなわち旧特別措置法第一四条の規定は、土地収用法第五章第一節「収用委員会の組織および権限」の適用を除外している。故に、特別法をもつて右特別措置法上の裁決機関を定めない限り、その権限を有する機関はないはずである。したがつて、無権限の右収用委員会から送付を受けた書類につき、被告が土地収用法第四四条第二項、第三項の義務を負ういわれはない。

五  裁決申請手続の違法その二

調達局長は、裁決申請前に土地収用法第四〇条に定める「協議」義務を有し、かつ、同法第四一条の規定により右協議が不調または不能等のときはじめて裁決申請ができるのである。しかるに、本件においては、東京調達局長は土地収用者ならびに関係人との間の協議をしておらず、土地収用法第四〇条に定める「協議」の要件を充たしたものとはいえない。また仮に協議があつたとしても、いまだ協議が不調になつた事実はない。

したがつて、本件裁決申請はその前提要件を欠く違法無効の申請であり、かかる無効の申請に基づく本件裁決申請書類等の送付に対し、被告は公告縦覧の手続をすべき義務はない。

六  裁決申請手続の違法その三

土地収用法第四二条第一項には、裁決申請書に添附すべき書類を法定しており、適法に作成された土地調書および物件調書が添附されていない裁決申請は、違法無効であると解すべきである。しかるに本件裁決申請書に添附された土地調書および物件調書を作成するについては、立会調査にあたり土地所有者ならびに関係人に立ち会う機会を与えておらず、同調書上には都知事の任命した立会人の署名押印があるけれども、その者が調査の際立会つた事実がなく、あとで調書作成のときにめくら判を押したものであるから、明らかに違法である。この点において、本件裁決申請は適法な土地調書および物件調書を欠いた違法無効の申請であることを免れない。よつて無効な裁決申請に基づく本件請求に被告が従う義務がない。

七  原告の請求の趣旨第三項について

請求の趣旨第三項の「報告」は、地方自治法第一四八条第三項別表第四の二各号に限定列挙して規定された町長の管理し、執行すべき「国」の事務中に含まれていないので、右原告の請求は、他の点についての判断をまつまでもなく理由のないことが明らかである。

八  新特別措置法の無効その一(新安全保障条約の内容的違憲性)

新安全保障条約は、旧安全保障条約と質的に相違し、旧安全保障条約のように日本がアメリカに軍事基地を提供し軍隊の駐留を許しそれに多くの利益や特権を認める程度というようなものではなく、日本が積極的に軍備の拡大をアメリカに誓約し、かつ、相互に参戦の義務を定めた上一〇年間その関係を固定化するという軍事同盟としての性格を有するもので、これが憲法第九条およびその前文に反することは旧安全保障条約によりさらに明白であり、かかる違憲無効な条約の実施を目的としている新特別措置法が違憲無効であることは明らかである。すなわち、新安全保障条約の違憲である点を指摘すれば次のとおりである。

(一)  新安全保障条約第三条の違憲性

(1) 同条約第三条は「締約国は個別的におよび相互に協力して、継続的かつ効果的な自助および相互援助により武力攻撃に抵抗するそれぞれの能力を、憲法上の規定に従うことを条件として維持し発展させる」と規定し、日本はアメリカに対し軍備増強の義務を負担した。これは相手国が自国のみならず米国をも防衛する意思と能力を持つ場合にのみ米国は軍事援助を与えるといういわゆるバンデンバーグ決議をとり入れたものであり、旧安全保障条約がわずかにその前文において「アメリカ合衆国は、日本国が自国の防衛のために漸増的に自ら責任を負うことを期待する」と謳うにとどまつたのに比し、卒直かつ明白に軍事的能力の維持発展の義務を確立し誓約しているのである。同条の趣旨を単にアメリカの防衛力増強義務のみを片務的に規定したものと解することはできないし、また、日米両国が相互に軍備増強への政治的努力を払うべき旨を宣言する訓示的規定と解する余地もないことは、同条約の審議過程において政府当局が最小限わが国が軍備を縮少することが同条違反になることを認めざるを得なかつた事実および米国において同条が効力的規定と了解されている事実、さらに同条約第四条で右のごとき防衛能力の維持発展に関し米国と随時協議することが確認され、わが国の軍備につき米国の具体的示唆または督促を受けることとされていること等も考えあわせれば明白である。

しかしてここに要求される能力は、「武力攻撃に抵抗する能力」なのであるから、当然核武装を含む現代ミサイル戦に対応しうる飛躍的軍備拡張が要求されることは明らかであり、また、「単独で」「または協力して」「自助および相互援助により」武装能力を発展させるのであるから、のちの同条約第五条の規定と結びついて、米軍と一体となつて作戦しうる武装能力が要求されていることもまた疑いのないところである。このように明文化された再軍備の義務を約束した条約が、「陸海空軍その他の戦力はこれを保持しない。」とした憲法第九条第二項前段および憲法前文に違反することは一見明白であり、かつ、重大なことといわなければならない。

(2) つぎに、同条が憲法第九条および憲法前文に違背すると考えられる点は、同条がその文言からも窺えるごとく、いわゆる集団的自衛の観念を肯認し、そのための軍備を誓約していることである。

同条は、具体的には「締約国は、個別的におよび相互に協力して継続的かつ効果的な自助および相互援助により武力攻撃に抵抗するそれぞれの能力………」と規定し、アメリカが他の同盟諸国と結んでいる北大西洋条約がそれぞれ「単独および共同して」「個別的および集団的能力」という文言を用いているのと多少異なる表現をとつているが、これは「共同」とか「集団的」とかいうといかにも日米両国が一体となつて防衛能力を維持発展させるものであるかのごとき印象を与えるということからそうしただけで(外務省情報文化局「新しい日米間の相互協力、安全保障条約」世界の動き特集第一一号所収)、実質的には全くそれらと同一のものということができる。このような同条の趣旨に「両国が国際連合憲章に定める個別的又は集団的自衛の固有の権利を有していることを確認」したという同条約前文の趣旨をあわせ考えれば、同条によりわが国が集団的自衛のため軍事力を増強することを米国に約したことを容易に理解しうるわけである。

ところで、集団的自衛とは、本来の自衛すなわちいうところの個別的自衛とは別異の観念であり、その観念の中核は、自国と密接な関係を持つ「他国」の自衛行動に対する援助にあるといわれる。換言すれば、他国に対する第三国の急迫不正の侵害に対して進んで自ら防衛行動にでることができるという考え方であり、必ずしもその第三国の侵害が自国に対して急迫でなくてもそれに攻撃を加うることに意義が存するわけであるから、言葉の正しい意味から言つても、もはや自衛観念を越えていることが明らかである。

このような集団的自衛の観念がわが憲法において認められているとはとうてい考えられないことであり、したがつて仮に百歩をゆずり憲法第九条がわが国に自衛のための軍備の保持を許容したものとしても、これをはるかに越えた集団的自衛の観念を包摂した前記第三条が憲法第九条、同前文に反することは極めて明白といわなければならない。

(3) 問題は同条中に「憲法上の規定に従うことを条件として」という文言があることから、同条の合憲性が確保されていると考えることができるかどうかということである。しかしながら、わが国憲法第九条がとくにその第二項においてその目的、範囲は一応措くとしても陸海空軍その他の戦力、すなわち軍事基地、兵器産業その他一切の潜在的な軍事能力をもつことを無条件に禁止し、国家として国際的に戦争を遂行しうる交戦権を否定していることは、その文意からすでに明白であり、少なくともそう解することは学者をはじめ国民の圧倒的な支持を受けて来たし、立法当時政府の公式見解でさえあつた。したがつていかに戦力に至らぬ程度の実力などと観念を弄し表現に意を用いたところで、同条約を締結し、前述のごとく同条を定立した日米両国の合理的意思は、わが国をしてまさに何がしかの顕在的軍事力を備えしめることにあつたのであるから、右のごとき第九条の法意に触れないわけにはいかないのである。

まして現実に右第三条の趣旨に沿つて今日わが国が保有する自衛隊の実態は、国内治安の維持のための警察力などという段階をはるかに越え、核兵器ミサイルやその他の核兵器までを備えた完全な近代的軍隊組織であり、これをしも顕在的戦力といわないことはできない。したがつて、しいて同条の自己矛盾を回避する解釈に立とうとするならば、憲法第九条は自衛の目的で、かつ、その限度で戦力を保持することを禁ずるものではないとの解釈をとる外はない。しかしながら、そのような憲法解釈は、同条の文理からしても、またわが日本国憲法が最も基本的かつ画期的特色としてとくに一章を設けてまで規定した戦争放棄条項の立法趣旨、存在理由からしてもとうてい不可能であり、このことは今日もなお政府の公式見解たるを失つていないし、国民の圧倒的支持を得ている理解ということができるのである。

なおまた、強いてこの章句があることにより、わが国が義務づけられる防衛力増強は自衛のために必要な限度に限局されるという実益があると解してみたところで、かつてわが国政府が自認したように、自衛のための軍備はそのまま侵略のための軍備であり、実際にも両者を峻別するなんらの実際的合理的基準は存しないので、しかも今日の政府自身が自衛のための核装備はありうると公式に言明している状態であるから、このような解釈はとうていこれを信用することができない。ましてや第三条における自衛が集団的自衛の概念にまで押し拡げられているような有様では、憲法第九条の背反は決定的といわなければならない。憲法を遵守するかのようにみえるこれらの文言は、実は憲法を無視し、じゆうりんしていることをカモフラージユするための単なる修飾語にすぎず、条約に憲法の枠内と書いてあるから違憲ではないなどという議論は形式論であり、その実体を無視するものといわなければならない。

(二)  同条約第五条の違憲性

同条第一項は、「各締約国は日本国の施政の下にある領域におけるいずれか一方に対する武力攻撃が自国の平和および安全を危うくするものであることを認め、・・・・・共通の危険に対処するように行動すること」を宣言しているが、その文理からしてそれが自衛行動の範囲を大巾に逸脱していることは疑う余地がないほど明白である。すなわち、

(1) 第一に国際法上独立国家の自衛権とは、急迫にして不正な他国の攻撃が自国および国民の権益に加えられた場合にそれに相応ずる方法で抵抗しうる権利を意味するものであるところ、同条にいうところの「一方に対する武力攻撃」には、それが不法であることの限定がない。同条約第六条により日本の自衛と関係なく極東の平和維持という名のもとに駐留米軍が第三国に不法の攻撃を加え、その結果としてその第三国が、防衛行動として日本国内の米軍基地を攻撃した場合にも、第五条により日本も参戦義務を負うこととなり、これは自衛行動の範囲を出ることは明らかである。

(2) 第二に、同条にいう第三国の侵害には急迫性の要件が明示されておらず、単に「共通の危険に対処するように行動すること」と規定しているにすぎない。武力攻撃が現に行なわれ、あるいはそれが切迫しているときのみに行動を限局していないことは、同条の規定が自衛権の行使のみにとどまつていないことを示すものである。

(3) 第三に、同条は在日米軍に対する武力攻撃を同時に日本に対する攻撃と認めて、日本が行動を起こす義務を定めているが、在日米軍に対する攻撃が常にわが国民の権益の侵害をもたらすとはいえない。わが国の領空、領海を遊戈中の米軍飛行機や軍艦などに対して行なわれる武力攻撃がわが国やわが国民の権益にさしたる影響を及ぼすものではないことは十分に予想されることであるし、また仮に影響があるとしても、それに対してわが国が軍事行動にでることが常に自衛権の行使として正当視されるとは断じえない。なぜなら、自衛権の行使はわが国の存立を脅かすほどの急迫なしかも不正な第三国の侵害に対してのみ可能であるところ、第六条等に鑑みて第三国の攻撃が常に侵略行動であると断定しえず、また第三国の武力攻撃がその程度の如何にかかわらず、常にわが国の存立を脅かすものとはみなしえないからである。同条の趣旨が自衛の観念を越えるものであることは明白といわなければならない。

(4) 要するに、同条により日本が自国の自衛とはなんら関係のない在日米軍の軍事行動が原因となつて戦争に参加するということになることは明らかで、日本を極東米軍のバリケートとしようとする軍事同盟の本質はここにあるのである。日本が積極的にアメリカに対し相互防衛義務を負つたことは、いわゆる共産圏を仮想敵国としてアメリカを中心に数多くの極東または東南アジアの諸国との間に十重二十重に結ばれた軍事同盟との関係においてみるとき、戦慄を覚えるほどの危険に日本が引きずり込まれたことを知るのである。米比相互防衛条約、アンザス条約、米韓相互防衛条約、東南アジア集団防衛条約、米華相互防衛条約がすべて相互に防衛する義務を規定している以上、アメリカはこれらの条約国に対する攻撃に対しこれに参戦する義務を負つているのであるから、日本が戦争に引きずり込まれる危険は非常に高い。たとえば、新条約のもとでは、台湾と中共との紛争に一度アメリカが巻き込まれれば、中ソ同盟条約の発動によつてソ連が参戦し、瞬時にして日本全土が廃虚になるおそれもある。旧条約に比し、新条約の場合でははるかに大規模に、かつ、全面的に戦争に巻き込まれ、戦禍も極めて深刻にならざるを得ない。まして核兵器の進歩は日毎に目ざましく、その破壊力はすでに想像を絶するほどのものであるにおいておや。この規定が憲法第九条第一項、第二項後段に違反し、違憲無効であることは、余りにも明白といわなければならない。

(5) もつとも、同条には前記第三条と同じように「自国の憲法上の規定および手続に従つて」の文言が存在するが、前にもふれたごとく、国連憲章はいざ知らず、わが日本国憲法はいかなる意味においても集団的自衛権の概念を認めてはいないのであるから、右文言を意味あるものと解するとすれば、同条全体が自己矛盾に陥る結果となり、したがつて、それを回避して同条を存在理由あるものとするためには、それを法的には有効な意味を持たないものと解する他はないのである。この文言は、みずからが憲法をじゆうりんした内容の条約を締結しながら、なおただ文言上だけ憲法に従うというごまかし的表現にほかならない。

また同条がその最終部分において「・・・・宣言する。」と謳つているところから、同条が単なる宣言条項にすぎぬものと解する余地がありやという問題があるが、これについては政府が再々強調して来たごとく、同条が米国にとつて参戦を具体的法的に義務づけた規定であることは殆んど公知の事実であるから、同条をわが国についてのみ宣言条項と解することは、いかにも不自然であり失当といわなければならない。

さらにまた、同条によりわが国が負う軍事的義務は、軍隊行動以外の基地の貸与その他の便宜供与にとどまるから、わが国がいわゆる共同軍事行動によつて参戦することにはならぬとの論もありうるが、現に自衛隊が存在し、平時よりすでに共同訓練や演習を行なつていることは周知の事実であり、かつ、政府自身も同条により自衛隊の軍事行動がとられることを正式に認めているのであるから、この論もまたとうてい採用するに由ないものである。

(6) なおまた、同条第二項と第七条はともに国連憲章第五一条の規定をそのまま、もつてきて書き入れ、一見この条約は国連憲章に沿つたものであるかのような形をとつている。しかしこれは、前項の「憲法上の規定に従う」という言葉と同じように、「この条約は国連憲章の精神に沿つたものである」ということを大いに宣伝し、不当な軍事同盟でないことを国民に印象づけるための政治的演出であつて、第二次世界大戦から人類が学んだ貴重な教訓から生まれた国連の集団的安全保障方式とは全く似て非なるものである。のみならず、国連憲章第五一条は形の上でこそ憲章中に位置せしめられているものの、実質的には国連憲章の規定ではなく、集団的安全保障の理念と制度によつて貫かれている国際連合憲章のうちただ一つ右の理念と制度に背いて構成国の国家主権のためその自衛権を留保した例外的規定であり、したがつて同条をもつて右第五条を意義づけようとすることは全くの同義反覆にすぎないものである。

(三)  同条約第六条の違憲性

(1) 同条は、「日本国の安全に寄与し、ならびに極東における国際の平和および安全の維持に寄与するために、アメリカ合衆国は、その陸軍、空軍および海軍が日本国において施設および区域を使用することを許される。」と規定している。しかして、右の米軍は、新安全保障条約上の武力行使の目的をもつて日本に駐留するものであるから、これと一体となつて共同軍事行動をとるべく義務づけられた日本の軍隊と同一視されるべきものであるし、またしからずとするも米軍にかかる武力攻撃をするための基地を提供すること自体、憲法前文および第九条第一、二項に定められた永久平和主義に反し、無効であるといわなければならない。

(2) のみならず、同条は、米軍の駐留とこれに基づく軍事行動とが単に「日本の安全」のみならず、「極東における国際の平和と安全」の維持に寄与するためのものであるところ、後者は少なくとも日本の自衛とは直接の関係がないものであり、むしろその概念をこえるものであることは明白である。いかに譲歩しても、憲法第九条が国際紛争を解決する手段としての武力行動をすべて禁止したことは疑いをいれないところであるから、たとえ他国の武力を藉りるにせよ、自衛の範囲をこえ、国際紛争解決の手段として武力を恃むことが同条に反していることは一見して明白であるといわなければならない。

しかも、右「極東」の範囲はそれ自体具体的範囲がどこからどこまであるかあいまいであるが、要するにあくまでも在日米軍の「駐留の目的の範囲」をいうのであつて、駐留する米軍が同地域に対して第三国の武力攻撃が加えられたときにそれに対処して「行動しうる範囲」は必ずしも右の範囲に局限されているものではなく、その攻撃または脅威の性質如何によつてはさらに拡大することがあるわけであるから、米軍の行動に伴なう戦争の危険はますます大きいといわなければならず、その違憲性はますます明白である。

しかもまた、昭和三五年二月六日発表された政府の公式見解によると、右の行動範囲は、極東地域において現に第三国の武力攻撃が行なわれた場合に限らず、極東区域の安全がその周辺地域に起こつた事態のため脅威されるような場合にも妥当するのであるから、ますますもつて米軍行動による戦争の危険は大きいといわなければならない。

かくして、憲法第九条およびその前文がわが国の防衛を「平和を愛する諸国民の公正と信義に依頼した」趣旨をいかように解しようとも、右のごとき第六条がその趣旨を踰越し逸脱していることは余りにも明白である。

(四)  以上のべてきたように、新安全保障条約にはその内容において憲法前文および第九条に違反する幾多の点が指摘され、しかもそれらはいずれも同条約の文理から直ちに理解しうるほど明白である。それは一見して明らかに違憲無効と断じうるほどであつて、かかる違憲無効な条約の実施を目的とする新特別措置法が違憲無効であることもまた明白といわなければならない。

九、新特別措置法の無効その二(新安全保障条約の手続的違憲性違法性)

(一)  新安全保障条約は、昭和三五年一月一九日岸内閣によつて調印され、衆議院に日米新安全保障条約の承認を求めるの件としてその承認を求められたが、衆議院議長は右案件を衆議院日米安全保障条約等特別委員会に付託したところ、同委員会においては昭和三五年二月一九日から審議が開始され、同年五月一九日同委員会において承認すべきものと議決され、次いで、同月二〇日の衆議院本会議に上程され、同日同院において可決承認され、かつ、憲法第六一条、第六〇条第二項により同年六月一九日をもつて国会の承認を得たことになつている。しかしながら、右一連の手続には次にのべるようなかしがあり、右条約は結局憲法に定める国会における条約の承認を欠くものであつて、違憲ないし違法無効なものである。

(二)  同条約が可決承認されるまでの事実の概要は、次のとおりである。

(1) 同条約は昭和三五年の第三四回国会において、その承認の可否につき審議されていたものであるが、自由民主党は、右国会開会中である五月一九日午前一〇時すぎ、衆参両院議長に対し、五〇日間の国会の会期延長を申し入れた。衆議院議院運営委員会では、同日正午頃右の自民党案が提出され、社会党その他の野党との間でこれをめぐつて話合いが行なわれたが午後四時頃にいたりついに話合いは決裂した。

従来同委員会は、その性格の重要性から全員一致をもつて運営することを建前として来たが、自民党はこれを踏みにじり、午後四時三九分社会党および民社党の委員が殆んど在席しないにもかかわらず、自民党委員だけで突如右委員会を開会した。たまたま委員室に残留していた社会党議員が驚き、かつ憤つて委員長室に押しかけ、自社両党委員入り乱れての混乱に陥つたが、結局この混乱のさ中に、自民党委員だけで、会期延長提案を議題とする件が採択されたのである。(もつともその議事録は存在しない。)

(2) 一方同日の衆議院日米安全保障条約等特別委員会では、すでに二千万にもなんなんとする新安全保障条約不承認の請願の取扱いをめぐつて、与野党間に激しい対立抗争がくりひろげられ、これも決裂状態にあつた。正午すぎからは小沢佐重喜同委員会委員長をはじめ、与野党委員とも着席のまゝ休憩状態に入つていた。

ところが午後一〇時二五分、本会議開会の予鈴がなり、社会党委員が一瞬浮足だつたと同時に、椎熊三郎委員の白扇の合図をうけて突如委員長が開会を宣し、一挙に新安全保障条約締結について承認を求め事件を可決に持ち込もうとした。慌てた社会党の松本七郎、西村力弥両委員が直ちに委員長不信任動議を提出し、その先議事項であることを主張して採決を阻もうとしたが、多勢の自民党委員がこれを襲いかゝり、両委員および委員長は床の上に押し倒され動議の文書は何者かに引きちぎられてしまつた。その後はたちまち与野党入り乱れての乱戦となり、数分間この状態が続いたが、やがて自民党委員は歓声をあげて退場し始めた。自民党側の主張によれば、その間に委員長が開会を宣し、椎熊委員が質疑打ち切りの動議を提出、これを可決したのち、討論を省略して直ちに新安全保障条約締結の承認を求めるの件、新協定(駐留協定)締結につき承認を求めるの件および新安全保障条約等の締結に伴う関係法令の整理に関する法律案の三件を採決に付し、いずれも多数で可決したという。

しかしながら、実際にはそのわずか三、四分の混乱状態のなかで表決など行なわれる余地はあるべくもなかつたし、事実議事録には、「午後一〇時二五分、小沢委員長休憩前に……(発言する者離席する者多く議場騒然聴取不能)……午後一〇時二七分」と記録されているにとどまる。

(3) ところでさきの議院運営委員会における自民党の強行採決に憤激した社会党議員は、これに抗議し、本会議の開会を阻もうとして、議長室前に坐り込みを続けていた。これに対し清瀬議長は、本会議の開会をあくまで強行すべしとする政府自民党に押されて開会を決意、右社会党議員を実力で排除すべく、午後九時三一分には警官隊五〇〇人の派遺を要請した。

同期末までまだ七日を余したこの時点で、異例の警官導入をあえてした議長の無謀な企ては、四〇分すぎに実現の運びとなり、午後一一時七分頃からは右社会党議員のごぼう抜きが始められた。同党議員は警官隊の実力で議事堂地下まで連行されたのであるが、実にこの実力行使は午後一一時五五分まで続けられたのである。

そして一方においては午後一〇時二五分本会議の予鈴、同一〇時三分本鈴が鳴らされ、警官隊や衛視の力をかりて、午後一一時四八分頃清瀬議長が議席に着席した。そしていまだ社会党議員の議事堂地下への連行が続いているなかで直ちに開会を宣し、会期五〇日間の延長を諮り、自民党議員のみでこれを可決、わずか二分後の同五〇分に散会した。ところがひそかに新安全保障条約の承認可決の単独議決強行をもくろんでいた政府、自民党(具体的な陰謀は当時の岸首相、佐藤蔵相、川島幹事長ら少数の政府与党の幹部の間においてのみ行なわれたといわれる。)は、清瀬議長をして翌二〇日午前零時五分からの延会を宣せしめ、そのまま議席に滞留して開会を待ち(その間に新安全保障条約承認強行を察知した河野一郎、松村謙三ら二七名の自由民主党の反主流派議員はこれに反対して退場した。)開会後直ちに新安全保障条約、新協定、関係国内法整理法案を緊急上程した。そして野党はもちろん、与党の一部も欠場した空虚な議場において、小沢日米安全保障条約等特別委員会委員長がかねて用意した同委員会報告書を読み上げ、次いで椎熊議員の質疑打切りの動議を可決、討論の通告がないとして直ちに採決に入り、記名投票手続もなく、予定された筋書どおり、起立総員でこれを可決した。時に午前零時一八分、さしもの国民的注視と論議を呼んだ新安全保障条約もわずか一三分でなんの国会らしい審議もなく承認されてしまつたのである。

(三)  右のごとき経過で衆議院の承認を得られた新安全保障条約新協定等は、憲法第六一条、第六〇条により同年六月一九日をもつて国会の承認を得たことになつたが、この衆議院の承認は、政府、自民党の常軌を逸した反議会主議的謀略に基づいて強行されたものであつて、そこには以下にのべるような重大な法律違反があり、帰するところ、新安全保障条約については憲法に定める国会の承認があつたといいえないものである。すなわち

(1) 議院運営委員会における手続の違法性

まず議院運営委員会における会期延長案を会議に付する件の採択からみると、衆議院先例四号によれば、会期の延長は、会期の終了当日または前日、もしくは前々日に議決するのを例とすることになつているので、五月二六日まで七日の会期を残していた一九日現在に、会期延長提案を採り上げたことは、同先例ないしこれに則つた国会慣行に違反する。したがつて同委員会における会期延長の議決は無効である。多くの議会主義国において、議会運営のかなりの部分が慣行によつて行なわれていること、それが議会というものの機能の特性と、議会制度の沿革の特殊性とに縁由していることは、あまねく知られている。したがつて議会運営における確立された慣行は、実定法規と並んで一つの法規範とみられるべきものである。また、同委員会には右の意味での慣行として国会法等の定めにも拘らず、全会一致をもつて運営するという慣行が存在するが、これが全く無視じゆうりんされたことも指摘しておかなければならない。

(2) 新安全保障条約等特別委員会における手続の違法性

新安全保障条約等特別委員会においては、同条約等に関する質疑および討論が何回にもわたつて熱心にくりひろげられ、さらに続行が予定されていたのにかゝわらず、質疑および討論を終局せしめうるなんらの手続もとられていない。自民党側の説明では、椎熊委員が質疑打切りの動議を小沢委員長に対し提出したというが、混乱の実状からみてそのような動議の行なわれる余裕もなかつたし、また前記のように議事録にも全く記載がない。実際当日の議事録をみても、当日は午後一〇時二五分からわずか二分間しか開会されたことになつておらず、その間前記小沢委員長報告のごとき経過で採決を行なうことは物理的に不可能である。

かりに右の動議が出されたとしても、その前に社会党委員より委員長不信任の動議が明確に文書をもつて出されていたのにそれを無視して議事をすすめているのである。したがつてまだ討論の終局がないのに、該案件を表決に付したものであつて、同委員会の手続は、すでにこの点において違法のそしりを免れない。

さらに何より決定的なのは、右委員会における表決がなかつたということである。

まず、討論が終局したときは委員長は問題を宣告して表決に付する(衆議院規則第五〇条)ことが要件とされるが本件の場合においては委員全員にはもちろん、速記者にも宣告はききとられていない。したがつて適法な問題の宣告が行なわれたか否かは甚だ疑わしいと言わなければならない。

また表決は、規則によれば、起立表決(同第一五一条)、記名投票による表決(同第一五二条)、異議の有無による表決(同第一五七条)のうち、いずれかによらなければならない(委員会の規定((衆議院規則第七章))中に明示されていないので、本会議のそれ((同第八章第六節))が類推適用されると考えられる。)。ところがこの場合殆んどの委員が起立して乱斗状態にあつたのであるから、起立表決は不可能であり、少なくとも委員長がこれを確認しうる状態になかつたはずであるし、記名投票が行なわれた形跡は全くない。また異議の有無による表決も、社会党委員らに異議の存したことは明白であつたから、この場合無意味である。かくしていかなる形にもせよ、適法な表決が行なわれた事実の存在しないことは明らかである。したがつて安保特別委員会の表決手続の違法(若しくは不存在)は、明白といわなければならない。

(3) 衆議院本会議における新安全保障条約承認の手続の違法

(イ) まず五月一九日深更における本会議における会期延長議案の議決は、前述したように議院運営委員会の議決自体が違法無効であるからその適法であることを前提として行なわれた本会議議決は無効である。のみならずまだ会期終了までに七日を余していたにもかゝわらず、確立された慣行に反して勺々の間に会期延長を決議に付し、しかも異例の警察官導入を行なつて、野党議員を議事堂地下まで排除し、また排除が終了しないにもかかわらず、議決をあえてしたごときは、議会主義の条理に反しかかる議決は無効である(憲法前文第一段参照)。したがつて五月二〇日払暁における新安全保障条約等の承認議案の議決は、すでに会期終了後にされたものであるから違法無効である。

(ロ) かりにそうでないとしても、先にのべたように新安全保障条約等特別委員会の議決が違法無効ないし不存在であり、したがつてその審査はいまだ終了していないのにこれを適法に終了したものとして本会議の議決を行なつたのであるから、その点からも違法無効であることは明白である。なるほど小沢新安全保障条約等特別委員会委員長は、同日午前零時六分から開かれた衆議院本会議において、「……国会史上空前にして、あるいは絶後ともなるような慎重審議がくり返されたのであります(拍手)……質疑時間は……実に合計一五三時間以上でございます。……かくて五月一九日椎熊委員から質疑打切りの動議が提出され、採決の結果、右動議は可決されました。討論の通告がないので、さらに三案件につきおのおの採決の結果、本条約および協定は承認すべきものと、また本法律案は可決すべきものと議決したる次第であります」と報告しているが、前述の事実に徴してそれが真実でないことは明白である。

さらにまた本会議における会議自体をみても、そのために会期の五〇日間もの延期を決めながら、少数意見の報告、質疑、討論等一切の審議を省略し、僅か一三分の間に重要案件の審議、議決を了したとするごときは、全く議会本来の機能をじゆうりんし、その存在理由を否定するものであつて、単に形式的に多数の名においてなされた議決は議会主義の条理に反して無効といわざるを得ない。

したがつて新安全保障条約の締結については、結局適法に国会の承認がなかつたことに帰するので、憲法第七三条第三号但し書に違反することは明らかである。

(四)  手続的違憲、違法事由に対する司法審査権

ところで、右のような極めて明白な手続的違憲、違法の事由があるのにかゝわらず、これについては裁判所の司法審査権が及ばないとする考え方がある。

(1) その一は国会内部の事柄は国会の自主的処理に任せるべきだとする考え方であるが、国会内部に起つた事象のすべてがその自律に任せられているわけではない。国会内部において起こる事象には、国会の運営、管理、規律保持のごとき内的事項と、法律の議決、条約締結の承認等のごとき対外事項とがあるのであつて、前者は国権の最高機関、立法の府としての自律に任せられているが、後者については決して国会の自主的処理に委ねられているわけではない(原告の引用する憲法第五八条第二項は、専ら前者について定めた規定にすぎない。)。憲法に定める定足数ないし表決定数を欠いた議決に基づいて公布された法律が違憲無効であり、裁判所がかゝる法律の成立要件について審査しうることは、憲法第八一条に照らして余りに明白だからである。単に事が立法府に属するからということが司法府の判断を排斥する正当な理由となり得ないことは、同条の違憲審査権の存在をみただけでも明らかである(原告の援用する最高裁判所大法廷判決も、一定の場合には条約承認の効力についても司法権が立ち入りうることは認めている。)むしろこの場合問題なのは、その事項が国の意思決定に関するとか、高度に政治的な問題である等のために、司法府の判断になじむかどうかという点にある。しかしながら前述のごとき議決手続の問題は、それが憲法や国会法衆議院規則に則つて行なわれたか否かという甚だ形式的、手続的な問題であつて、そこには高度の政策的、政治的判断を容れる余地はない。しかも本件の場合は前記特別措置法という国内法を直接判断の対象としており、新安全保障条約や新協定はそのいわゆる前提問題として間接に取り上げているにすぎないのであるから、いつそう問題は少ないといわなければならない。

(2) その二は前記新安全保障条約承認議決は、結局国会自らが適法なものと認めたのであるから、かゝる場合は少なくとも違憲性が極めて明白であるとはいえないとする考え方である。

しかしながら右議決については、時の経過とともに既成事実化していることは認めざるを得ないとしても、議決直後から今日まで野党議員のみならず国民の広い層が根強い否認の意思をもつており、とくに右議決の承認手続に極めて重大な違法があつたことは、国民の殆んどが認めているほどに周知のことであり、明白である。これをしも極めて明白でないということはできない。なるほど右議決が既成事実化してあることは事実であり、また法の理念のなかに、既成事実を尊重しそれを法的に生かしめようとする法的安定の要請が存することも認めなくてはならないが、それは事実の既成化自体に法的価値が付与される場合か、少なくとも事実を安定化することの価値がそれを覆滅することによる価値に勝る場合でなければならない。本件議会のごとき、憲法及び議会主義に対する致命的な侵犯の事実は、いかなる意味でも安定化されるべきものではない。

既成事実を肯認することも司法裁判所の任務であればそれを否認し、事実の既成化を押しとゞめて、そこに法的正義の所在を明らかにすることもいつそう大きな司法裁判所の任務といわなければならない。

第六、被告の主張(第五)に対する原告の反論

被告は東京都収用委員会の被告に対する本件裁決申請書の送付が旧特別措置法第三条、第一四条によつたものであるとし、同法が違憲無効であるから、本件公告縦覧の義務はないというが、右送付は土地収用法第四四条第一項の規定によつてしたものであるから、土地収用法上所定の送付があつた以上、被告としては右特別措置法の効力とは関係なく、土地収用法に基づいて公告縦覧手続をすべき義務を負うものというべきである。仮に被告のいうように特別措置法の効力が被告の義務に影響を及ぼすべきものであるとしても以下に述べるとおり、同法が無効であるとする被告の主張は理由がない。

一、被告主張の第五の一について(行政協定が条約かどうか)

行政協定が被告の主張するように条約の性質を有するとしてももともと行政協定は旧安全保障条約第三条に基づいて締結されたものであるが、同条約については国会がすでに承認を与えているものである以上、国会としては同条に定める米国軍隊の配備に関する協定を政府限りで締結することもあわせて包括的に承認したものというべきである。この点について被告は国会の承認が行なわれる際に行政協定の内容全部が明白となつていなければ承認があつたとみることはできないというけれども、しかし行政協定の相手方は特定しており、かつ協定事項も同条により米国軍隊の配備に関する条件に限定されていることと、さらに政府が協定を締結するに当つての外交の実際上の処理のために要求される機動性という点も合せて考慮に入れるならば、この程度に内容の限定されている行政協定の締結についての国会の包括的承認は、国会の条約審議権を放棄したものとみるべきものではなく、正当有効な承認というべきである。

なお行政協定が政府の調印によつて昭和二七年二月二八日に締結されたのち同年三月二五日には参議院本会議において、翌二六日には衆議院本会議において、それぞれ行政協定は特に国会の承認を経べきものである旨の決議案が否決されているのであつて、国会のかゝる見解は十分に尊重されなければならず、また、かゝる点よりみても行政協定を政府かぎりで締結することに国会は包括的に承認を与えたものと解するのが相当である。ちなみに最高裁判所の昭和三四年(あ)第七一〇号事件に関する昭和三四年一二月一六日の判決においても、行政協定は合憲有効と判断されている。

以上により行政協定は違憲、無効ではないから、これを実施するための旧特別措置法およびこれに基づく本件命令も適法、有効であつて、この点に関する被告の主張は理由がない。

二、同二について(旧安全保障条約の違憲性について)

旧安全保障条約の効力については、すでに前掲最高裁判所判決において憲法に適合する有効なものと判断しているのである。同条約の内容はわが国の平和と安全、ひいてはわが国の存立の基礎にきわめて重大な関係を有するものであり、高度の政治性を有するものというべきであるから、これが違憲か否かの判断は条約の締結権を有する内閣およびこれに対して承認権を有する国会の判断に従うべきものであつて、かゝる問題は、裁判所の司法審査権の範囲外に属するものであり、したがつて同条約は憲法に適合するものとしてこれを認めねばならないものである。

なお、また憲法第九条第二項がその保持を禁止した戦力とは、わが国がその主体となつてこれに指揮権を行使しうる戦力をいうものであるから、外国の軍隊は、たとえわが国に駐留してもここにいう戦力には該当しないと解すべきであり、米国軍隊が日本に駐留しても憲法違反ではないから、これと異なる見解にたつ被告の主張は理由がない。

以上により、旧安全保障条約は適憲有効であり、これを実施するための旧特別措置法および本件命令は適法有効である。

三、同三について(収用認定の違憲無効について)

その(1)について。 日本国内に存するいわゆる基地が六五七カ所総面積四一、〇〇〇万坪であることは認める。

その(2)について。 認める。たゞしその数字は知らない。

その(3)について。 砂川町の一部が飛行場敷地となつていることは認めるが、その他の事実は知らない。

その(4)について。 飛行機事故によつて砂川町の住民の一部に被害があつたことは認める。その他の事実は知らない。

その(5)について。 砂川町の中心部を東西に五日市街道が走つていることは認めるが、その他の事実は知らない。

その(6)について。 知らない。

その(7)について。 被告主張の条例が制定されたことは認めるがその他の事実は知らない。

その(8)について。 砂川町議会が、被告主張の決議をしたことは認めるが、その他の事実は知らない。

(収用認定が「適正かつ合理的」であることについて)

内閣総理大臣が旧特別措置法第五条の規定に基づいて土地収用の認定をするに当つて、同法第三条に規定する当該土地を駐留軍の用に供することが適正かつ合理的であることの要件を具備するか否かの判断をするについては、行政技術上の相当巾広い裁量権を有することは、事の性質上当然であつて、右の判断が社会観念上著しく妥当を欠き裁量権の限界をこえないかぎり、当該収用の認定の当、不当の問題はありえても、違法の問題は生じえないものである。

ところで本件収用の認定にかゝる土地は、航空機の発達に伴ない、従来駐留軍の使用に供されて来た立川飛行場(行政協定第二条により、安全保障条約第一条の目的遂行に必要な「施設および区域」として認められた。)の滑走路の最小限の拡張が要求され、それに必要な土地として昭和三〇年九月一六日に日米合同委員会において両国政府代表者間の合意が成立し、同年同月二〇日に閣議で決定された駐留軍の用に供する「施設および区域」となるべき土地である。

本件収用の認定は、右のような事情のもとになされたものであるから、本件収用の認定が妥当かどうかの問題はありえようが、少なくともそれが社会観念上著しく妥当を欠き、内閣総理大臣の裁量権の範囲を越えたものとは、とうてい認めることはできない。したがつて本件収用の認定は適法有効である。

かりに裁量権の範囲を越えていたとすれば、違法ということにはなるけれども、明白重大なかしがないかぎり、それが権限ある行政庁あるいは裁判所によつて取り消されるまでは有効である。そして本件収用の認定には明白かつ重大なるかしというべきものはなんら存在しない。被告主張の無効事由なるものは、とうてい明白なかしとはいえないから、理由がない。

(本件収用認定と地方自治の関係について)

被告は本件収用の認定は地方自治を侵すと主張するけれども地方自治とは、地方の行政を国から独立した地方公共団体に任せ地方住民の意思と責任とにおいて処理せしめる趣旨の行政体制であり、憲法第九二条はこの体制を保障しているのであつて、本件収用の認定により被告主張のような害悪がかりに生ずるとしても、そのことと住民自治ということとは別個の事柄であり、むしろこの害悪の軽減、除去ということを住民の自治によつて問題の対象とすることはありえても、この害悪により地方自治の体制が侵害されるというようなことはとうてい考えられない。

(本件収用認定と憲法第二九条)

本件土地の収用は、旧安全保障条約(現在においては新安全保障条約)の実施のためにされるものであるから、国家公共のための収用であり、かつもちろん正当な補償のもとに行なわれるのであるから、被告の主張するように憲法第二九条に違反するものでないことはいうまでもない。

四、同四について(東京都収用委員会の本件裁決申請の受理権限)

旧特別措置法第一四条は土地収用法第四四条その他収用委員会の存在を前提とした規定を多数適用しているのであるから、特に土地収用法第五章第一節の規定の適用を除外している意味は右特別措置法としては、右第五章第一節の規定によつて設置された既存の収用委員会をして裁決機関の事務を処理せしめる建前であることが明らかである。したがつて同法としては右第五章第一節の規定を適用することは不必要であるばかりでなく、適用するとすれば、かえつて一般の収用委員会のほかに、さらに別個の収用委員会を設置しなければならないかの疑問を生ずるから、わざわざその適用を除外しているのである。

東京都収用委員会が本件裁決申請を受理する権限を有することは以上により明らかであつて、被告の主張は理由がない。

五、同五について。

訴外東京調達局長が土地収用者ならびに関係人との間の協議をしていないこと、いまだ協議が不調になつた事実のないことはそれぞれ否認する。

六、同六について。

本件裁決申請書に添付された土地調書および物件調書に「都知事の任命した立会人の署名押印」があることは認める。「立会調査にあたり土地収用者ならびに関係人に立ち会う機会を与えておらない」こと、「調査の際立ち会つた事実がなくあとで調書作成のときにめくら判を押したものである」ことは否認する。

七、同七について。

公告の日を土地収用委員会に報告することは、土地収用法第四四条第三項の規定の趣旨からみて、地方自治法第一四八条第三項別表第四の二の四三に規定する町長の管理し執行すべき国の事務に当然附帯する事務であることは明らかであるから、本訴において併せ請求しうるものと解すべきである。

八、同八について(新安全保障条約の内容的違憲性)

新安全保障条約についても、旧安全保障条約についてのべたと同様にその適憲性を裁判所は審査できないものであり、したがつてこれに違憲無効であるとすることはできない。

すなわち、新安全保障条約は、旧安全保障条約におけると同様わが国の平和を守るための従来の日米安全保障体制を継承しつつ、これに改正を加えたものであつて、わが国固有の有効な自衛手段をもたない実状において、わが国に対する武力攻撃を阻止し、わが国の安全を確保するために、世界の平和維持機構たる国際連合の目的と原則に従つて行動するものであることの根本方針を明らかにするとともに、右国際連合の枠内でこれを補うための暫定的措置として、アメリカ軍隊に対し、わが国において施設や区域を使用することを許容する等、わが国の安全と防衛を確保するに必要な事項を定めているものであることは明らかである。したがつて同条約も、前記最高裁判所判決にあるように、「その内容において主権国としてわが国の平和と安全ひいてはわが国存立の基礎に極めて重大な関係を有する」ものというべきであつて、高度の政治性を有するものであるから、その違憲か否かの判断も、この条約を締結した内閣およびこれを承認した国会の高度の政治的判断に任せられるべきものであり、純司法的機能をその使命とする裁判所の司法審査権の範囲外に属するものというべきである。

なお被告は、新安全保障条約第三条、同第五条第一項および同第六条は、それぞれ憲法第九条に違反することが極めて明白であるというのであるが、右第三条は、武力攻撃に抵抗するわが国の能力の維持発展については憲法上の規定に従うことを条件としているのであり、また右第五条第一項はわが国の施政下の領域における外部からの武力攻撃に対処する場合に憲法上の規定および手続に従うことを条件としているのであつて、いずれもこのような条件のついている以上は、右各条文の内容について検討を加えるまでもなく、この一点だけですぐに、一見きわめて明白に違憲無効であるとはとうてい認められないし、また右第六条については、前掲最高裁判所判決において、アメリカ軍隊のわが国駐留を許容することは、憲法の第九条、第九八条第二項および前文の趣旨に適合こそすれ、一見明白にこれらに違反する無効なものとは認められないと判断されている以上、アメリカ軍隊の駐留から当然随伴してくる要請であるところの右軍隊に対するわが国における施設、区域の使用の許与を認めた右第六条もまた、一見きわめて明白に違憲、無効であるとすることはとうてい考えられないことである。してみれば、かりに高度の政治性を有する条約であつても一見きわめて明白に違憲、無効である場合には例外的に司法審査の対象となるという見解にたつても、新安全保障条約が司法審査の対象になりえないことは明らかである。

よつて新安全保障条約の内容が違憲、無効であるという被告の主張は理由がない。

九、同九について(新安全保障条約の手続的違憲性)

被告主張の昭和三五年五月一九日の衆議院日米安全保障条約等特別委員会の審議の経過が相当混乱したものであつたことは被告のいうとおりであり、同日の委員会議事録には被告引用のとおりの記載だけしかないのであるが、しかしその後に『〔参照〕衆議院公報第百九号(一)(昭和三五年五月一九日)に掲載された五月一九日の日米安全保障条約等特別委員会の議事経過は次のとおりである。△日本国とアメリカ合衆国との間の相互協力および安全保障条約の締結について承認を求めるの件(条約第一号)日本国とアメリカ合衆国との間の相互協力および安全保障条約第六条に基づく施設および区域ならびに日本国における合衆国軍隊の地位に関する協定の締結について承認を求めるの件(条約第二号)右両件は、いずれも承認すべきものと議決した。日本国とアメリカ合衆国との間の相互協力および安全保障条約等の締結に伴なう関係法令の整理に関する法律案(内閣提出第六五号)右案は原案どおり可決した。』と記載されているし、また一般に委員会の委員長は、委員会の議事を整理し、委員会を代表する権限を有する(国会法第四八条、衆議院規則第六六条)のであるが、昭和三五年五月二〇日の衆議院会議録(同日付官報号外一九頁)によれば、新安保特別委員会の委員長小沢佐重喜は、五月二〇日午前零時六分から開かれた衆議院本会議において、被告も引用するように、五月一九日の右委員会の審議の経過および結果について「……五月一九日、椎熊委員から質疑打切りの動議が提出され、採決の結果右動議は可決せられました。討論の通告がないので、さらに三案件につき、おのおの採決の結果本条約および協定は承認すべきものと、また本法律案は可決すべきものと議決した次第であります。」と報告しており(国会法第五三条による。)、そして同本会議において右小沢委員長報告のとおり、新安全保障条約および右駐留協定の各承認は議長清瀬一郎の採決の結果、賛成者の起立総員によつて決定され、また右整理法も賛成者の起立総員により可決された旨が記載されているのである。

以上のべたところよりみれば、新安全保障条約等の承認の議決は、たとえ被告の主張するように審議途上に相当の波乱があつたとしても、法律上は適法に行なわれたものと認めるのほかないのであつて、それ以上に立ち入つて議決の効力を審査することはできないと考える。なんとなれば、元来国会内部における事項については、国会自身の自主的判断に任せられるべきものであり(憲法第五八条第二項参照)、国会以外の他の国家機関は、いわゆる三権分立の建前上からも、みだりにこれに介入することはできないものと解すべきだからである。本件条約の承認の議決についても、前述のように、国会がみずから適法に成立したものとして判断している以上、他の行政機関も裁判所もそれに従い、適法に審議された有効な議決として認むべきものである。

なお、被告は前記の衆議院本会議において、議長が権限を利用して警察力を導入し、野党議員を排除して与党のみによる単独採決によつて本件条約の議決がされたこと等を理由に、本件条約承認の議決は無効であるというけれども、そのような事情があつたとしても、それは結局議会政治における当、不当の政治的問題にとどまり、そのことは本件議決の法律上の効力になんらの消長もきたさないものである。

第七、証拠関係<省略>

理由

一  東京都収用委員会が昭和三一年七月二日土地収用法第四四条第一項の規定に基づき別紙(二)記載の裁決申請書等を収用しようとする土地の所在する東京都北多摩郡砂川町の町長である被告に送付し、それが翌三日被告に到達したこと、同年七月一三日までに被告が同法第二項に規定する公告及び裁決申請書等の縦覧手続をしなかつたこと、原告が被告に対し昭和三一年七月二一日付書面で同月二七日までに右公告をし、公告の日から二週間右裁決申請書等を公衆の縦覧に供し、かつ、公告の日を同月三一日までに東京都収用委員会に報告するよう命令し、右書面が同月二二日被告に到達したこと、被告が右命令の所定期限を経過した後現在に至るまでその公告の日を東京都収用委員会に報告していないことは、いずれも当事者間に争いがなく、被告が現在まで右公告および縦覧の事務を執行していないことは、被告の明らかに争わないところであるから、これを自白したものとみなす。

二  本件職務執行命令訴訟における審査の範囲

(一)  「職務命令の適否の実質的審査」の意味について

本件差戻判決は、差戻前の原審判決が、職務執行命令訴訟における審査の範囲について、地方自治法第一四六条第一項または第一二項に基づいて主務大臣が都道府県知事に対し、また都道府県知事が市町村長に対して発する命令をいわゆる上命下服の関係にある国の本来の行政機構の内部における指揮監督の方法としてなされる職務命令と同視し、後者の場合において受命者が下命者たる上級行政機関の判断に拘束され、受命者は権限ある上級機関の命令である以上、不能のことを命ずるものでない限りこれに従わなければならないとされているのと同様に、前者の場合においても受命者たる都道府県知事または市町村長は、当該命令にかかる事項を所掌する主務大臣または都道府県知事の発した命令である限り、その内容の適否を問議することは許されないから、職務執行命令訴訟においても裁判所は、右命令の形式的適否についてのみ審査をなすべく、その実質的適否の審査をなすべきものではないとしたのを誤りであるとし、地方自治法第一四六条は、都道府県知事または市町村長の地位の自主独立性を尊重する趣旨から、これらの機関が国の委任を受けてその事務の処理をする場合におけるこれらの機関に対する指揮監督の方法についても、国の行政機関内部における上級機関の下級機関に対するそれと異なり、その間に裁判所を介入せしめて右指揮監督の方法としてなされる職務命令の適否を審査せしむべきものとしたのであるから、職務執行命令訴訟においては当然当該職務命令の形式的適否の点のみならずその実質的適否の点についても審査を行なうべきものであるとし、かかる理由に基づいて原判決を取り消して本件を差し戻したのである。差戻しを受けた当裁判所としては、右の差戻判決に拘束され、原判決取消しの理由とされたところと異なる判断をすることができないことはいうまでもないところであるから、本件においても、原告が被告に対してした職務命令の実質的適否について審査を行うべきものであることについては、これを不可争的なものとして取り扱わなければならない。

もつとも、右差戻判決にいわゆる実質的適否の審査が具体的には何を意味するかは、判文上は明らかにされていない。しかし、判決理由の全体を通覧するときは、その趣旨が下命者たる主務大臣または都道府県知事の判断の受命者たる都道府県知事または市町村長に対する優越性を否定し、両者の判断が牴触する場合には裁判所が客観的立場からそのいずれが正当であるかを審査判断すべきものとするにあることを看取するに難くないのであつて、この趣旨から推すときは、裁判所は、下命者の判断のいかんにかかわらず、命ぜられた事項が客観的にみて法律上受命者のなすべき義務に属するかどうかを審査判断して右命令の実質的適否を決すべきものというべく、これと見解を異にし、地方自治法第一四六条に基づく都道府県知事または市町村長に対する職務命令についても一種の公定力、すなわち下命者たる主務大臣または都道府県知事の判断の受命者のそれに対する優越的妥当力を認め、受命者たる機関は、当該命令に重大かつ明白なかしが存し、当然無効とみるべき場合を除き、右命令に拘束され、したがつて職務執行命令訴訟における審査の範囲も、当該職務命令にこれを無効ならしめるごとき重大かつ明白なかしが存するかどうかの点のみに限らるべきものとする原告の主張は、上記差戻判決の趣旨にかんがみこれを採用することができない。

(二)  特別措置法の効力の審査の要否について

本件裁決申請書等の公告縦覧の義務は、原告が被告に対してこれを命じた当時においては旧特別措置法第一四条により、本件口頭弁論終結当時においては新特別措置法第一四条によりそれぞれ適用せられる土地収用法第四四条の規定によつて市町村長に課せられた義務であるから、右の新旧特別措置法が無効であるとすれば、実体法上は被告に同法の命ずる事項を行なう義務は存しないはずであるが、法律を執行すべき国家機関が当該法律の実質的効力を審査することができないという建前がとられている場合には、その国家機関の職責という点に関する限り、右機関は当該法律の実体的な効力のいかんにかかわらず右法律によつて命ぜられた義務の遂行を拒否することができないというべきであるから、果して被告が新旧特別措置法の無効を理由として本件公告縦覧義務の履行を拒否しうるかどうかを考えてみなければならない。

一般に国の行政機関は、立法機関によつて制定せられた法律を執行する責任を有するのであるが、その行政機関が常に自己の執行すべき法律の効力を審査して、これを無効と認めるときはその執行を拒否しうるものとするときは、そのままでは円滑な国政の運営を期待することが不可能となることが明らかであるから、かような立法機関と行政機関相互間の憲法解釈上の見解の対立による国政の混乱を解決するため、憲法裁判所のごとき特殊の機関の設置等による特別の制度上の手当がなされていない場合には、むしろ行政機関は原則として自己の執行すべき法律の効力を審査する権限を有しないとする建前がとられているものと解すのが相当であるとも考えられる。特に日本国憲法が裁判所については司法権の行使にあたつて違憲審査権を有することを定めながら、行政機関による行政権の行使についてはかかる規定を設けていないことからみても、わが国においては右のごとき解釈をとるのが相当であるといいえないこともない。しかしながら、このように一般的に国の固有の行政機関は法律の違憲審査権を有しないとする理論を肯定するとしても、この理論は、本件職務執行命令訴訟においては、当然には妥当しない。けだし、都道府県知事や市町村長は、本来地方自治体の機関であつて、国の固有の行政機関ではなく、ただ特定の法律によつて一定の事務を委任せられた場合に、その事務の執行に関する限り国の機関としての地位を有するにすぎないから、上記のごとき国の立法機関と固有の行政機関との関係についての議論が当然に妥当すると解すべき根拠はなく、むしろ都道府県知事や市町村長は、地方自治体の長としての立場において、憲法に違反するごとき法律によつて特別に課せられた国の事務たる職務については、その遂行を拒否することができるものと解するのがかえつて地方自治体の自治体たる趣旨に合致するゆえんであり、職務執行命令訴訟のごとき制度が設けられているのも、このような点にひとつの理由をもつているということができるからである。本件最高裁判所の差戻判決も、このような解釈に立つものと思われるのである。

そうしてみると、本件においては、新旧特別措置法が憲法に違反して無効であるかどうかを審査すべきものであり、その前提として新旧安全保障条約ならびに行政協定と駐留協定の効力についても審査を行なわなければならない(右安全保障条約等の効力と特別措置法の効力との関係については、後に述べる。)。原告は、旧安全保障条約および行政協定についてはすでにこれを有効とする最高裁判所の判決が出ているので、本件においてはもはやこの点を審査することできないと主張するけれども、右最高裁判所の判決は、当該特定の事件を離れて一般的に裁判所その他の国家機関に対し拘束力を有するわけではなく、本件のごとき職務執行命令訴訟においても、これが例外を認めるべき理由はないから、原告の上記主張は採用することができない。原告は、もし本件訴訟において上記条約や行政協定等を違憲無効と判断しても、結局最高裁判所において容認されることはないであろうから、法律上迅速な裁判の要請される職務執行命令訴訟においては、かような無用な遅延を生ぜしめるような審査をなすべきでないというけれども、かかる議論は法律論としては採るに足りない。

(三)  先行行為の適否の審査の要否について

被告は、本件裁決申請書等の公告縦覧は、内閣総理大臣の収用認定に始まり土地収用委員会の裁決に終る一連の行為によつてなされる特別措置法に基づく土地収用手続の一環をなす行為であるが、かように一つの法律効果の形成を目的とする一連の手続においては、先行行為にかしがある場合にはそのかしは後続行為にも承継され、その後続行為もかしを帯びるにいたるもの、換言すれば、先行行為にかしがあればもはやかしなき行為として後続行為を行うことはできないのであり、本件においても、内閣総理大臣の収用認定その他の行為が違法であれば、被告町長としては適法に公告縦覧の行為をなしえないこととなるから当然かかる行為をすることを拒否しうべきものであり、したがつて本件訴訟においても当然これらの先行行為の適否を審査すべきものであると主張し、原告はこれを争い、被告の主張するごとき先行行為の適否は本来土地収用委員会の審査すべき事項であつて、被告町長は単に右収用委員会から送付された裁決申請書等を公告し、かつ、これを公衆の縦覧に供するという機械的行為を行なう職務権限を有するにすぎず、右のごとき先行行為の適否の審査権を有するものでないから、本件職務執行命令訴訟においても、これらの点について審査すべきものではないと主張する。

よつて考えるに、行政行為においては、それ自体としては適法な行為であつても、それに先行する行為が違法であるために当該行為自身も違法とされる場合のあることは被告の主張するとおりであるけれども、違法性の承継とよばれるこの理論は、一般に行政行為の適否がこれによつて違法に権利を害されたと主張する者によつて争われる場合において認められた理論であつて、このような場合に違法性の承継を認めず、直接右の個人に法律上の影響を与える最終行為に固有の違法事由のみに限つて、これを主張することができるものとすれば、これに先行する行為に存する違法性が不問に付されてしまい、全体としてみれば違法な行為によつて権利の侵害がなされる結果を容認せざるをえない不都合を避けるためのものであるから、この理論をあらゆる場合に適用することは妥当とはいえない。殊に後続行為をなすべき機関がその職務を遂行するに当つて先行行為の適否を審査し、これを違法と認めた場合には後続行為を行なうことを拒否する権限と職責を有するや否やは、上記の場合とは全く別個の観点からこれを論ずべく、上記違法性の承継の理論を無条件に適用してこれを肯定することはできないのである。およそ法律が特定の行政機関に一定の職務権限を付与した場合には、原則としてその職務権限は当該機関に専属し、その上級行政機関がその指揮監督権をもつてこれに介入する以外には、他の行政機関はその職務権限の行使に介入することができないのである。そして右行政機関がその職務権限を行使するに当つて法律上一定の事項について判断することを要求されている場合には、その行政機関のみが当該事項についての判断権を有し、他の行政機関は、右の行政機関が法律によつて与えられた権限の行使として一定の判断のもとに特定の行為をした場合において、右の判断を誤りであるとし、当該行為を法律に違反するものとすることはできないと解すべく、この理は、行政機関が自己に与えられた職務権限の行使として一定の行為をするについて、他の行政機関の行為を前提とし、一般に両者の行為の間にいわゆる違法性の承継が認められる場合においても同様というべきである。そうでないと、法律がそれぞれの行政機関に対して各別の職務権限を付与し、各行政機関をその与えられた事項に関する限り唯一の責任ある決定機関とした趣旨は没却されるのであつて、このような権限の相互的尊重は、権限の分属に伴う不可欠の要請であるといわなければならない。もつとも、このような他の行政機関の権限に属する行為についての当該機関の判断の尊重といえども絶対的なものではなく、それが当該行為を当然無効ならしめる程度に重大かつ明白な誤りを含んでいる場合には、他の行政機関が自己の権限を行使するにあたつてかかる行為の有効な存在を否定し、かかる判断に基づいて自己の職務権限に属する行為をなすべきや否やを決定しうるし、また決定すべきものと考えられ、この限度においては、行政機関は他の行政機関の行為の適否を審査しうるものと解するのが妥当であるが、この限度を超えて一般的に他の行政機関のした行政行為の適法性のすべてを審査し、自己の見解においてこれを否定すべき場合には、右行為を前提としてなすべき自己の義務を拒否することができるとすることは、当を得た解釈ということができない。これに反する被告の見解は、採用することができない。

以上は、被告の先行行為のかしに関する主張に対する一般的な判断であるが、本件においてはこの一般論のみをもつて事を決することはできない。およそある行政機関が一定の行政行為をなすべき義務を負担しているかどうかは、法律がかかる行為についての職務権限を付与するにあたつて、当該行政機関に対しいかなる事項について審査判断したうえその権限を行使すべきことを要求しているかということと切り離してこれを論ずることはできないのである。各行政機関のなす行政行為は、その性質、内容、効果および重要性において無限の多様性をもち、法律はかような多様性に応じてそれぞれの行為を各種の行政機関の職務権限に分属せしめるとともに、他面それらの機関がそれぞれの権限を行使するにあたつて判断すべき事項の範囲についても広狭さまざまな限界を設けることができるのであり、これが画一的でなければならない理論上の要請はない。それ故、法律が後続行為をする行政機関に対し、他の行政機関のした先行行為の適否について審査権を与えることも可能であるとともに、他方右行為の適否のみならず、その有効無効についてすらこれを審査判断することなく、いやしくも形式上当該行政行為がこれにつき一般的権限を有する行政機関によつてなされた以上、当然に後続行為をなすべきことを命ずることももとより可能であつて、この後の場合においては、当該行政機関は、先行行為の無効を理由として後続行為を拒否することも許されないものとしなければならい。具体的な場合がそのいずれに当るかは、もつぱらこれを定めた法律の規定の解釈によつて決すべきものであり、規定の明文上この点が明らかでない場合には、当該行政機関のなすべき行為の性質、それが右法律において創設された行政作用全体の中において占める地位等に照らして法律の趣旨とするところを合理的に探求すべきものである。(さきに述べた一般論は、右の点に関して法律が特段の定めをしていないと解せられる場合において準拠すべき一般法則にすぎない。)

右の観点に立つて本件の場合をみるに、被告に対して求められている本件裁決書等の公告および縦覧は、特別措置法に基づく土地の収用手続の一環をなす行為であること被告の主張するとおりであるが、これを仔細に検討すると、右の収用手続は、きわめて大まかにいつて、内閣総理大臣による収用手続(調達局長による収用認定の申請、内閣総理大臣による意見の聴取、収用認定、右認定の通知および告示)、関係者による協議手続(調達局長による収用すべき土地等の公告および土地所有者等に対する通知、土地所有者等との協議)および裁決手続の三つの段階にわかれており、さらに右の裁決手続は、調達局長による裁決の申請書等の収用委員会への提出、収用委員会による裁決申請書等の写しの関係市町村長への送付、右市町村長による送付書類の公告および縦覧、土地所有者および関係人等の意見書の提出、収用委員会による審理、裁決という段階的に発展する手続構造をとつていることが認められ、被告が求められている裁決申請書等の公告縦覧は、土地収用手続の中でも、その最終段階たる裁決手続の一環をなす行為であるということができる。ところでかような行為を分担せしめられた市町村長は、それ以前に行なわれた各行為の適否を審査判断し、これを違法と認めたときは公告縦覧を拒否する権限を法律によつて与えられていると解すべきか、あるいは一般原則にしたがつて少なくとも先行行為の有効無効を判断する権限を有すると解すべきかというに、当裁判所は、次に述べる理由により、右のいずれをも否定すべきものと考える。

すなわち、上記の素描からも明らかなように、特別措置法に基づく土地等の収用手続の骨格をなすものは、収用認定、協議および収用裁決の三つであるが、収用認定についての職務権限を与えられているのは内閣総理大臣であり、収用裁決についての職務権限を与えられているのは収用委員会である。内閣総理大臣は、調達局長の申請にかかる土地等が駐留軍に必要であるかどうか、これを駐留軍の用に供することが適正かつ合理的であるかを審査判断して収用認定をなすべきや否やを決すべき権限と職責を有し、収用委員会は、裁決の申請が適法であるかどうか、理由があるかどうかを審査判断して収用裁決をすべきや否やを決すべき権限と職責を有する。法律は、前者の事項についての審査判断は内閣総理大臣に委ねるのを適当と考え、後者の事項に関するそれは収用委員会に委ねるのを適当と考えて、それぞれ右各機関にこれらの権限を分属せしめたものと考えられるから、他に異別に解すべき特段の根拠のない限り、内閣総理大臣および収用委員会(同委員会の裁決に対する訴願裁決機関としての建設大臣を含む。)は、それぞれの判断事項に関する限り行政機関として唯一かつ最終的な責任者と認めるべきものである。内閣総理大臣についてはしばらく措き収用委員会についていえば、右の趣旨は、特別措置法によつて適用せられる土地収用法第四三条、第一九条において不適式な裁決申請書等につき補正を命じ、補正されない場合にその裁決申請書を却下する権限と義務を収用委員会に与え、また第四七条において申請が同条各号の一に該当するときその他法律の規定に違反するときに裁決をもつて申請を却下する権限と義務をこれに与えていることからも明らかである。このように、収用委員会は裁決申請書等が、所要の方式を備えているかどうか、および裁決の申請が適法であるかどうかを審査することができ、また審査すべきである。したがつてまた、適法な裁決申請の要件としてその前段階の諸手続が経由されたかどうか、すなわち内閣総理大臣による収用認定があつたかどうか、協議手続が適法に行なわれたかどうかを審査しえ、また審査すべきであり、さらにまた内閣総理大臣の収用認定についても、その適否についてまでは審査することができないまでも、それが当然無効な処分であるかどうかの点まではこれを審査しうるとする見解もあるいは立ちうるかもしれない。

これに対し、関係市町村長による裁決申請書等の公告、縦覧は、上記のように、裁決申請書の提出に始まり裁決に終る裁決手続の一環をなす行為であるが、その裁決手続における任務は、収用委員会が一応適式なものと認めて受理した裁決申請書等の書類のうち当該市町村に関係ある部分の写しとして送付したものを一般に公示すること、換言すれば、右のごとき裁決の申請があつたことを当該市町村内に在る土地所有者、関係人その他に知らしめ、右土地所有者および関係人に対し土地収用委員会への意見書の提出の機会を与えるという裁決手続中における告知行為を担当するものであり、かつ、これに尽きている。ところで一般に関係人の参加する審理手続を経て、そこにおいて提出された資料および意見に基づいて審決がなされるという構造をとる行政手続においては、関係人に対する審判の対象たる事項の告知は、それ自体としてはもとより手続における重要な要素をなす行為であるが、右行為が審判手続全体を主宰し、審決を下す職責と権限を有する行政機関と別個の機関に委ねられているときは、後者の機関は、原則として審判手続全体からみれば従たる地位を占めるにすぎず、前者すなわち審判機関そのものと同様の比重を有するものではないということができる。したがつて後者が前者から告知手続を求められた場合には、後者は、それが権限ある審判機関からの要求であり、かつ、その要求行為自体が法規に適合している限り、審判の請求が違法で、ほんらい審判手続を開始すべからざる場合であるのにこれを開始した不適法があるかどうかと、その他審判手続自体が適法であるか不適法であるかとかを問うまでもなく、要求にかかる告知を行なうべき義務があるものというべきである。これを異別に解し、告知機関においてこれらの点についても審査判断権を有し、自己の判断に基づいて審判手続を進行すべからざるものとして告知を拒否することができるものとするときは、その限度において単なる告知機関が本来の審判機関を排除し、これに代つてみずからが審判機関としての地位を占めるのと同様の結果を生ずるのであつて、一般にかような不当な結果を法律が容認しているものとはとうてい解することができない。前記収用委員会と市町村長の関係についても同様であつて、これを異別に解すべき理由はない。土地収用法が上記のような告知手続を関係市町村長に委ねたのは、その方が収用委員会みずからが行なうよりも地理的関係その他からいつて、容易かつ有効であるというもつぱら行政事務処理上の便宜の考慮から出たものにすぎない(もつとも、かような単なる国の行政上の便宜から自治体の長にいちいちかかる機械的事務を委任することが地方自治の促進という点からみて妥当であるかどうかについての議論はありうる。)と解せられ、右告知の段階において収用の当否や裁決手続の適否について関係市町村長の判断を介入せしめる余地を与えようとしたものとはとうてい解せられないのである。一般に市町村長が内閣総理大臣や収用委員会とは別個独立の機関であり、かつ、当該市町村たる自治体の長としてその住民の福祉の保持促進につき特別の関心と責任を有するものであるということは、毫も右の結論を動かす理由となるものではない。

土地収用法第四四条第二項が「市町村長は、前項の書類を受け取つたときは、直ちに裁決申請があつた旨……を公告し、……その書類を公衆の縦覧に供しなければならない。」と規定しているのも、右の趣旨を示すものと解すべく、これを被告主張のように解することはできない。

右の次第であるから、本件被告の裁決申請書等の公告縦覧義務の存否については、右が東京都収用委員会から送付されたものであるかどうか、それが土地収用法第四四条第一項にいう裁決申請書とその添付書類中の砂川町に関係ある部分の写しであるかどうかのみを審理すれば足り、遡つて内閣総理大臣の収用認定の適否ないしはその有効無効、協議が適法に行なわれたかどうか、したがつて東京都収用委員会に対する本件裁決の申請が適法であるかどうか、右裁決申請書等が法定の方式を備えているかどうか等の点についてはこれを審査する必要がなく、また審査すべきものではないというべく、この点に関する原告の主張は理由があり、これと異なる被告の主張は排斥をまぬがれない。

(この点については、被告町長には上述の限度の審査義務があるにすぎないとしても、本訴においては、原告都知事の被告町長に対する職務執行命令の適否が審査されるべきものであるから、裁判所としては、被告の審査義務の有無にかかわらず、内閣総理大臣の収用認定等の先行行為についてもその適否を審査すべきである、との議論もありうるが、本件職務執行命令の適否は、上述のとおり、被告の裁決申請書等の公告縦覧義務の存否によつて決せられ、かゝる公告縦覧義務は、被告の審査義務との関連においてのみ決せられるものであるから、裁判所としては右の限度においてこれを審査すれば足り、さらに被告の審査義務のない先行行為の適否についてまで判断する必要はないものというべきである。)

よつて以下において、上記説示にかかる範囲において本件原告の職務命令の実質的適否につき判断を加えることとする。

三  新旧特別措置法の効力

(一)  旧特別措置法の効力

旧特別措置法の無効原因として被告が主張するところは、すべて同法の前提である旧安全保障条約および行政協定の違憲無効をその理由とするものである(なお被告は、同条約が国連憲章に反している旨の主張をしているが、これは帰するところ同条約がわが国憲法の定めた平和主義の原則に反するとの主張を理由づけるための主張であつて、独立の無効原因として主張しているものではないと解せられる。)。もし旧安全保障条約および行政協定が無効であるとすれば、わが国の領土内における米国の駐留軍の存在自体が当然に違法な行為とはいえないまでも、駐留軍の用に供するために土地等を強制的に収用もしくは使用することは、憲法第二九条第三項に違反すると同時に、憲法第九条にも違反することとなり、無効といわなければならないから、旧特別措置法の効力を判断するためには、被告の主張するとおりその前提として旧安全保障条約および行政協定の効力を判断しなければならない。

しかしながら、旧安全保障条約および行政協定については、すでにこれを憲法第九条等に違反する故をもつて無効とすることはできないとする最高裁判所大法廷判決(昭和三四年(あ)第七一〇号事件、同年一二月一六日言渡、最高裁判所刑事判例集一三巻一三号三、二二五ページ)があり、当裁判所も、右判決において示されているのと同一の理由により、これを無効とすることはできないものと考える。(なお被告主張の第五の二の(二)の点については、右判決は直接ふれるところはないが、同条約前文末尾の被告主張の字句が、日本国が自衛のための戦力をもつべきことを予定し約定しているものと断定しえないのみならず、少くとも、これによつて同条約の違憲無効であることが一見きわめて明白であるということはできない。)本件において旧安全保障条約および行政協定が憲法に違反する故をもつて無効とすべきものとする理由について被告の主張するところは、いずれも、ひつきよう上記最高裁判所の判決と異なる独自の見解に立つてその判示を不当とするものにほかならず、当裁判所の採用し難いところである。それ故、旧安全保障条約および行政協定が無効であることを理由として旧特別措置法が無効であるとする被告の主張は、理由がない。

(二)  新特別措置法の効力

新特別措置法の無効理由として被告の主張するところも、旧特別措置法の場合と同じように、その前提となつている新安全保障条約および駐留協定が違憲無効であること(駐留協定の違憲無効については同協定独自の違憲無効原因は主張されておらず、新安全保障条約の違憲無効がひいては駐留協定を違憲無効とするという趣旨と解せられる。)に限られているが、両者の関係は旧特別措置法の場合と同様であつて、新特別措置法の効力は、新安全保障条約および駐留協定の効力に依存するものであるから後者の効力について判断を加えなければならない。

(1)  新安全保障条約の内容的違憲性について

被告は、新安全保障条約は旧安全保障条約とは質的に異なるものであり、一見明らかに違憲無効であるとして、数点をあげて主張している。

しかしながら、わが国が自国の平和と安全を維持しその安全を全うするために必要な自衛のための措置をとりうること、このような措置としては右の目的にふさわしい方式または手段である限り、他国に安全保障を求める等国際情勢の実情に即応して適当と認められるものを選ぶことができること、いかなるものが右の安全保障にふさわしい方式または手段で国際情勢の実情に即応して適当と認められるものであるかは、国の政治的部門である内閣および国会の政治的裁量に委ねられるべく、その判断が一見きわめて明白に違憲無効と認められない限り、裁判所は右判断の当否に介入することができないことは、さきに挙げた最高裁判所判決の示すとおりであり、新安全保障条約も、旧安全保障条約と同様、わが国の安全保障のためにふさわしい方式または手段で国際情勢に即応して適当なものと認めて内閣が締結し、国会がこれを承認したものであることは明らかであるから、その判断が一見きわめて明白に違憲無効と認められない限り、裁判所はこれを無効とすることはできないものといわなければならない。しかるに右新安全保障条約が一見きわめて明白に違憲無効と認めうるかというのに、新安全保障条約も旧安全保障条約も、わが国およびわが国を含めた極東の平和と安全を維持するためにアメリカ合衆国軍隊のわが国における駐留を認め、これによつてわが国の防衛力の不足を補なおうとするものであることの根本趣旨において異なるものでないことは、両条約の内容を彼此対照することによつて容易にこれを認めることができ、また新安全保障条約によつて認められた駐留軍隊が外国軍隊であつてわが国自体の戦力ではなく、これに対する指揮権および管理権もすべてアメリカ合衆国に存し、わが国には自国軍隊に対すると同様の指揮権、管理権がないことは、右条約および駐留協定の規定からも明らかであり、この点においても旧安全保障条約におけると同様であるから、後者の場合と同じく、前者すなわち新安全保障条約もまた、その内容において違憲無効であることが一見きわめて明白であるとはなし難い。もつとも、新安全保障条約には、若干の点において旧安全保障条約と異なるところが存するけれども、これらの相違は、毫も上記結論を左右するものではない。すなわち、新条約第三条は、「日米両国は個別的に及び相互に協力して、継続的かつ効果的な自助および相互援助により武力攻撃に抵抗するそれぞれの能力を維持し発展させる。」旨規定し、旧条約が単にその前文において「アメリカ合衆国は、日本国が……直接および間接の侵略に対する自国の防衛のため漸増的に自ら責任を負うことを期待する。」旨宣言するにとゞまつたに対し、一歩を進めて武力攻撃に対する防衛能力を維持し発展させる義務を相互的に負担するに至つているようにみえるが、仮に右規定がわが国に防衛能力の維持発展を法的に義務づけたものであり、また、それがいわゆる集団的自衛に当るとしても、同条はかかる防衛能力の維持発展の義務を「憲法上の規定に従うことを条件」としてのみ定めているのであるから、右にいう憲法の規定をどのように解釈するかはともかく、同条約自体としては憲法に違反するような軍備の維持促進をわが国に義務づけたものということはできず、したがつてこれによつて、右条約を一見明白に違憲無効なものということはできない。

また新条約第五条第一項は、「各締約国は日本国の施政の下にある領域におけるいずれか一方に対する武力攻撃が自国の平和および安全を危うくするものであると認め………共通の危険に対処するように行動することを宣言する。」と規定しているが、これは日本国の施政の下にある領域という地域的限界を付せられているにせよ、日米両国の相互防衛義務を明らかにしたものであり、その点において、右地域内において生ずるアメリカ合衆国の平和および安全に対する危険に対処すべき日本国の義務についてはなんら触れるところのなかつた旧条約の範囲を一歩踏み越えているものではないかとの疑いがないではないけれども、仮に右規定が日米両国に対して相互的な義務を課したものであるとしても、そこにおいて義務づけられている行動は、わが国の施政の下にある領域という限られた地域内において日米両国のいずれかに加えられた武力攻撃に対処するための防衛的性格のものであること(被告は、駐留米軍が第三国に不法な攻撃を加え、その結果として第三国が防衛行動として日本国内にある米軍に対し攻撃を加えた場合にも第五条の行動義務が生ずると主張するけれども、そのような解釈は同条約第一条の規定にかんがみ、正当な解釈とは考えられない。)、わが国の防衛力を補うため、わが国およびわが国を含む極東の平和と安全を維持するためにのみ行使さるべきことを条件として他国軍隊の駐留を認める以上(このこと自体が一見明らかに違憲無効といえないことはさきに述べたとおりである。)、右の駐留他国軍隊に対する武力攻撃は同時にまたわが国の平和と安全に危険を生ぜしめるものといいえないこともなく、かかる攻撃に対処するための行動を義務づけられたとしても、それは必ずしも被告のいわゆる狭義の自衛行動の範囲を著しくこえるものとは認め難いこと(国際連合憲章第五一条も、一般的に個別的自衛権と並んで集団的自衛権なるものを認めているが、本条約の場合は、その集団的自衛権すら上述のようにわが国の施政権の及ぶ領域内において武力攻撃が加えられた場合に限定している。)わが国が義務づけられる行動は、日本国憲法上の規定および手続に従うものに限られていること、しかも右防衛措置自体、右条約第五条第二項の規定からも明らかなように、国際連合安全保障理事会が必要な措置をとるまでの暫定的なものにすぎないこと等をあわせ考えるときは、上記規定の存在は、新条約を本質的に旧条約と異なりわが国の安全保障のために明らかにふさわしからぬ内容のものとし、したがつてこれを一見明らかに憲法第九条第二項に違反し、無効ならしめるものとすることはできない。

また同条約第六条による米軍に対する施設及び区域の使用の許与が一見明らかに憲法に違反するものといえないことはすでに述べたところから、おのずから明らかであり、その他、新安全保障条約がその内容上一見明らかに憲法の条章に違反すると認めるべき点はどこにもないから、同条約がその内容において違憲無効であるとすることはできず、したがつてまた、右条約が無効であることを理由として新特別措置法が違憲無効であるとする被告の主張は、これを採用することができない。

(2)  新安全保障条約の手続的違憲性について

被告は新安全保障条約が国会において承認されるまでの過程において、その手続にかしがあり、結局憲法において定められている国会における条約の承認の手続が適法にされていないから、同条約は結局適法な国会の承認を欠くことになり無効であると主張する。

しかしながら一般に法律あるいは条約が、形式的に国会の議決あるいは承認を経たものとして公布されている場合においては、裁判所は、国会の自主性を尊重し、その法律や条約の国会の審議手続にまで立入つてその適否を審査判断すべきではないと解すべきところ、(最高裁判所昭和三一年(オ)第六一号昭和三七年三月七日大法廷判決、最高裁判所民事判例集第一六巻三号四四五ページ)新安全保障条約は、昭和三五年五月二〇日午前零時六分から開かれた衆議院本会議において有効な手続によつて承認があつたものとされ、かつ、同年六月一九日の経過とともに憲法第六〇条により参議院においても承認したものとみなされたものとして、同月二三日に官報号外第六九号により公布されたものであることは、当裁判所に顕著なる事実であるから、右のごとく国会において安全保障条約が適法な議決によつて承認されたものとされ、適法な手続によつて公布されている以上、裁判所としては、右決議に至る過程において被告の主張するごとき違法があつたかどうかを審査するまでもなく、右新安全保障条約は適法有効に国会の承認を受けたものと認めなければならない。よつてこの点についての被告の主張はすべて採用することができない。

四  東京都収用委員会の受理(送付)権限について

被告は東京都収用委員会には本件裁決申請を受理し、本件裁決申請書等を被告に送付する権限がないと主張するのでこの点について判断するに、東京都収用委員会はほんらい土地収用法第五一条により東京都知事の所轄のもとに土地収用法に基づく権限を行なう機関として設けられたものであることは被告の主張するとおりであるが、他の法律で右委員会に別個の権限を付与することはもとより可能であつて、旧特別措置法(新特別措置法も同様)が同法に基づく土地の収用等についての裁決に関する権限を土地収用法に基づいて設置せられた上記収用委員会に与える趣旨であることは、同法第一四条において土地収用法第四章(たゞし第三一条から第三三条までを除く。)の規定を適用するものと定めていることに徴して明白であり、右旧特別措置法第一四条が収用委員会に関する土地収用法第五章第一節の規定の適用を除外しているのは、これを適用するものとすれば特別措置法に基づく土地等の収用等の裁決について土地収用法に基づき設置せられた収用委員会とは別個に同一の組織を有する収用委員会の設置を予定し、これに右裁決に関する権限を与える趣旨と誤解されることを避けるためにほかならないと認められるから、東京都収用委員会が旧特別措置法第一四条によつて適用せられる土地収用法第四二条により、東京調達局長がした本件裁決申請を受理し、裁決手続を開始する権限を有することは明らかであり、被告の上記主張は採用することができない。

五  そこで次に東京都収用委員会から被告に送付された本件裁決申請書等について、それが法所定の内容および要件を備えているものであるかどうかを検討するに、公文書と認められるから真正に成立したと推定すべき甲第一号証によれば、東京都収用委員会から被告にあて送付された本件裁決申請書等は、いずれも土地収用法第四二条所定の様式に従い、かつ、所定の添付書類から成り、その内容についても一応それぞれ法の要求するものを備えているものと認められるものであることが明らかである。被告の主張するように右裁決申請書に添付された土地調書および物件調書に存する東京都知事の任命した立会人の署名押印は現実に立ち会つたことのない者による署名押印であつて不適法なものであるとしても、右書類が一応土地収用法第四二条第一項の規定による申請書及びその添附書類中の砂川町に関係がある部分の写しであると認められる以上、被告がその公告縦覧の義務をまぬがれないことはさきに説示したとおりである。

六  土地収用法第四四条第三項の規定による報告事務について

右の報告事務が地方自治法第一四八条第三項の別表第四の二各号列挙の国の事務中に明示されていないことは被告の主張するとおりであるけれども、右報告はその性質上市町村長の行なうべき公告縦覧行為と密接な関係を有し、これに付随する事務というべきであるから、地方自治法第一四八条第三項別表第四、二(四十三)に定める収用委員会の裁決申請書等を公告し、または縦覧させる事務に付随してこれに包含されるものと解するのが相当である。したがつて、この点についての被告の主張は採用することができない。

七  以上の理由により被告に対し東京都収用委員会から送付を受けた別表(二)記載の裁決申請書およびその添付書類の各写しに基づいて、土地収用法第四四条第二項所定の公告をし、公告をした日から二週間それらを公衆の縦覧に供し、かつ、公告をした日を遅滞なく東京都収用委員会に報告すべきことを命じた原告の命令は適法であり、被告はこれに従う義務がある。しかして被告が現在にいたるまで右命令に従つていないこと冒頭掲記のとおりであるから、原告の請求は理由があるものというべく、履行期限については主文掲記の各期間を相当と認め、訴訟費用の負担については、民事訴訟法第八九条にのつとり、主文のとおり判決する。(ちなみに、本件の被告砂川町長宮崎伝左エ門が本件口頭弁論終結後である昭和三七年一二月五日に死亡し、昭和三八年一月二七日施行された後任町長の選挙において砂川三三が当選し、砂川町長に就任したことは当裁判所に顕著な事実であるところ、右宮崎伝左エ門の死亡によつて本件訴訟が当然に終了するか、または後任町長によつて承継せられるかについて疑いがないではないので、以下においてこの点に関する当裁判所の見解を明らかにしておく。

右宮崎伝左エ門の死亡によつて本件訴訟が当然に終了するかどうかは、本件訴訟の被告が、砂川町長たる資格における宮崎伝左エ門個人であるか、地方公共団体たる砂川町の機関である砂川町長そのものであるかによつて決定せられるところである。けだし、前者であれば、本訴の目的たる同被告の義務は、砂川町長たる地位にある限りにおいてのみ同被告に専属する同被告個人の義務であるから、同被告の死亡によつてその義務を承継する者がなく、したがつて本件訴訟を承継すべき者がないこととなるに反し、後者の場合には、機関を構成する自然人の死亡または資格喪失は、当然には当該機関そのものを消滅せしめるわけではないから、被告は依然存続しており、たゞ後任者が前任者に代つて引き続き訴訟手続を追行することとなるにすぎないからである。そこで考えるに、地方自治法第一四六条は、地方公共団体の執行機関たる都道府県知事または市町村長が法令により課せられた国の事務を適法に遂行しない場合における国の指揮監督の実効性を担保するための手続として、第一段階として右国の指揮監督機関たる主務大臣または都道府県知事による職務執行命令訴訟を、第二段階として命令違反確認訴訟をそれぞれ規定し、これらの各訴訟においてはいずれも当該都道府県知事または市町村長を被告とすべきものとし、右第二段階の命令違反確認訴訟において原告勝訴の判決があつたときは、主務大臣または都道府県知事において当該事務を行なうべき都道府県知事または市町村長に代つてその事務を行なうことができることとするとともに、命令に違反した都道府県知事または市町村長を罷免することができる旨を定めている。この最後の罷免権は、その性質上命令に違反した都道府県知事または市町村長個人に対してのみ行使せられうるものであるから、この点のみからみるときは、第一段階の職務執行命令訴訟も、第二段階の命令違反確認訴訟も、いずれもかかる罷免権発生の前提手続をなすものとして、当然に当該都道府県知事または市町村長の地位にある特定の個人を被告として提起せられ、この者との関係において追行せられるものと解すべきもののように考えられないでもない。しかしながら、同条の定める職務執行命令訴訟および命令違反確認訴訟は、例えばリコール手続のように、もともと住民の意思によつて選出せられて都道府県知事または市町村長の地位にある特定の個人からその者の法令違反の所為の故をもつて右の地位を剥奪するための手続ではなく、上記のように、都道府県知事または市町村長に課せられた国の事務の処理に関してこれと国の監督機関たる主務大臣または都道府県知事との間に紛争を生じ、統一的な国の事務の遂行に障碍を生じた場合において、かかる障碍を除去するための手段として設けられた手続であつて、都道府県知事または市町村長とその監督機関との間の争訟手続において、第一段階として前者の事務処理が法令に違反するかどうかを、第二段階として監督機関の適法に命じた事項が遂行せられたかどうかを裁判所に確定させようとするものであり、それ自体としてはそれぞれ独立の訴訟手続で、命令違反確認の判決があつた場合における罷免権の発生は、右訴訟における判決にもかかわらず都道府県知事または市町村長がこれに従わない場合において法が右判決の結果に実効性を付与するために設けた特別の効果にすぎないのである。換言すれば、職務執行命令訴訟および命令違反確認訴訟は、いずれも国の機関たる都道府県知事または市町村長とその監督機関たる主務大臣または都道府県知事との間における前者の職務権限の行使に関する紛争の解決手続であつて、いわゆる講学上機関訴訟と呼ばれるものの一種にほかならない。このことは、命令違反確認判決に対して法が罷免権のほかに代執行権発生の効果(むしろこれが第一次的な効果であるとも考えられる。)を付与していることからも知られるのである。それ故これらの訴訟における被告は、都道府県知事または市町村長それ自体であつて、かかる長の地位にある特定の個人ではないとしなければならない。のみならず、実際上の見地から考えても、もしこれを異別に解し、都道府県知事または市町村長の地位にある特定の個人が被告となるものとすれば、その者の死亡や離職によつて当然に訴訟が終了し、後任者に対して改めて最初から手続をやりなおさなければならないこととなり、その結果必然的に事務遂行の遅滞を生ずるが、かような結果がそもそもかような事務遂行上の障害を除去するためにこれらの手続を設けた法の趣旨に反することは明らかであり、この点からも上記解釈の正当なことが知られるのである(本条の規定する訴訟のうち第一段階の職務執行命令訴訟は、英米において公職にある者に対しその者が法律上負担している公の義務の遂行を強制する手続としてコンモン・ロー上認められているいわゆるマンデイマスの手続をとり入れたものと考えられているが、英米においても右マンデイマスの手続における被告が公職にある特定個人であるかどうかについては、法域により必ずしもその解釈が一致していない。しかし、米国においては、多数の法域では訴訟当事者たる公職者の死亡によつては当然にはその訴訟は終了しないとの見解がとられており、これと異なる見解をとる法域においても、かような解釈によつてもたらされる前記のような不都合を避けるために、例えば連邦地方裁判所民事手続規則第二五条のように制定法をもつて当該公職者の退職または死亡の場合における後任者による訴訟承継の手続を定めているのが通例であるといわれている。)もつとも、職務執行命令訴訟や命令違反確認訴訟における被告を都道府県知事または市町村長なる機関と解すると、前任者の命令違反の結果としてなんら責任のない後任の都道府県知事や市町村長が罷免される可能性を生じ、不当であるとの反論がなされるかもしれないけれども、法所定の罷免権は、命令違反確認判決によつて確認された違反行為当時における特定の都道府県知事または市町村長に対してのみ行使しうるものと解すれば容易に右のごとき不都合を避けることができるのであり、かような解釈は、明文上は明らかでないけれども、本条の規定全体の合理的解釈として十分に可能であるから、上記反論は毫も上述の見解の正当性を左右するものではない。

以上の理由により、本訴訟における被告は砂川町長たる宮崎伝左エ門個人ではなく、砂川町長そのものと解すべきであるから、本訴訟は右宮崎伝左エ門の死亡によつて当然に終了するものではない。)

(裁判官 位野木益雄 中村治朗 清水湛)

別紙(一)

公告

土地収用法第四十四条第二項の規定に基づき、次のとおり公告する。

一 第二項記載の土地について起業者東京調達局長から東京都収用委員会に対し、昭和三十一年六月十九日に収用の裁決の申請があつた。

二 収用しようとする土地の所在、地番及び地目は左記のとおりである。

所在              地番      地目

東京都北多摩郡砂川町字大山道東 一、二四〇ノ三 畑

同字              一、二四三ノ一 畑

同字              一、二四四ノ一 畑

同字              一、二四八ノ一 畑

昭和 年 月 日

東京都北多摩郡砂川町長 砂川三三

別紙(二)

昭和三十一年七月三日東京都収用委員会から送付を受けた、東京調達局長作成東京都収用委員会あての昭和三十一年六月十九日付東調第二、三七八号(TRF)の記号を付した裁決申請書及び左記標目の添付書類の各写

一、土地収用法第四十二条第一項第二号に基づく市町村別調書

二、損失補償金算出内訳書

三、土地収用法第三十六条の規定による土地調書写

四、土地収用法第三十六条の規定による物件調書写

五、協議の経過説明書

六、立川飛行場拡張計画図

七、起業地の位置を表示する図面

八、土地台帳附図(公図)写

九、所有者及び関係人あて収用認定処分の通知書写

一〇、収用認定通知書写

一一、収用認定書写

一二、収用認定申請書写

別紙(三)

所在

種類

数量(土地台帳上の地積)坪

東京都北多摩郡砂川町字大山道東

二二八

宅地

二一三・〇〇

同字

二三〇のイ

三九四・〇〇

同字

二三〇のロの一

宅地

三三八・〇〇

同字

二三〇のロの二

宅地

二〇・〇〇

同字

二三一のロ

宅地

一〇七・〇〇

同字

二三一の三

宅地

四〇・〇〇

同字

二三四

宅地

二三五・〇〇

同字

二三五

宅地

二九〇・〇〇

同字

二三七の二

宅地

四六・〇〇

同字

二三七のロ・二三八

合併宅地

一二八・〇〇

同字

二四一のイ

宅地

一三五・〇〇

同字

二四一のロ

宅地

九八・〇〇

同字

二四二

宅地

一一六・〇〇

同字

二四四

宅地

二三四・〇〇

同字

一、一四二の五

四二〇・〇〇

同字

一、一四四

墳墓地

六・〇〇

同字

一、一四五の一

五八・〇〇

同字

一、一四六の一

宅地

八八・〇〇

同字

一、一四六の二

宅地

六一・〇三

同字

一、一四六の三

六五・〇〇

同字

一、一四六の四

宅地

七・〇〇

同字

一、一四六の五

宅地

三〇・〇〇

同字

一、一四七

二、二六八・〇〇

他に墳墓地

九・〇〇

同字

一、一四八の一

(七、〇一〇・〇〇)

内五一〇・〇〇

同字

一、一四九の一

宅地

一〇五・〇〇

同字

一、一四九のロの一

山林

三四八・〇〇

同字

一、一四九のロの二

一一四・〇〇

同字

一、一四九の三

二七・〇〇

同字

一、一四九の五

宅地

一〇〇・〇〇

同字

一、一四九の六

宅地

一一八・〇〇

同字

一、一四九の七

宅地

一〇八・二九

同字

一、一五〇のイ

七四四・〇〇

同字

一、一五〇のロ

四四五・〇〇

同字

一、一五二のイ

二六六・〇〇

同字

一、一五二のロ

二六八・〇〇

同字

一、一五四

(一、五一四・〇〇)

内八五四・〇〇

同字

一、二三二の一

一七八・〇〇

同字

一、二三二の二

(六四四・〇〇)

内五八四・〇〇

同字

一、二三二の三

(一八八・〇〇)

内一八三・〇〇

同字

一、二三二の四

三二四・〇〇

同字

一、二三二の五

二七五・〇〇

同字

一、二三二の八

九一・〇〇

同字

一、二三三

墳墓地

六・〇〇

同字

一、二三四

四五二・〇〇

同字

一、二三五の一

一六六・〇〇

同字

一、二三五の二

四三・〇〇

同字

一、二三五の三

宅地

一〇〇・七七

同字

一、二三六

二四八・〇〇

同字

一、二三七

墳墓地

四・〇〇

同字

一、二三八

九五・〇〇

同字

一、二三九

墳墓地

四・〇〇

同字

一、二四〇のイ

九〇五・〇〇

同字

一、二四〇の三

三九三・〇〇

同字

一、二四二のイ

四〇二・〇〇

同字

一、二四二の二

一八六・〇〇

同字

一、二四三の一

五九四・〇〇

同字

一、二四四の一

四三九・〇〇

同字

一、二四四の二

宅地

九七・五八

同字

一、二四五のイの一

宅地

七二・〇〇

同字

一、二四五のイの二

宅地

二二六・二七

同字

一、二四五のロ

九〇・〇〇

同字

一、二四六の一

八四四・〇〇

同字

一、二四六の二

宅地

一七三・〇〇

同字

一、二四八の一

一、一三八・〇〇

同字

一、二四八の三

四・〇〇

同字

一、二四九

三二八・〇〇

同字

一、二五〇の二

一二・〇〇

同字

一、二五四の三

三三一・〇〇

同字

一、二五四の四

宅地

二四五・六〇

同字

一、二六四の四

一六・〇〇

同字

三、七六二

池沼

九・〇〇

同字

二三一の三地先(都道四号線側端)より同字

一、二三二の三地先(立川飛行場境界柵)間の道路

町道

三六〇・〇〇

同字

一、二六四の一北端より同南端(立川飛行場境界柵)間の道路

町道

六二・〇〇

以上合計

一九、〇九四・五四

別紙(四)

所在

地番

地目

所有者

東京都北多摩郡砂川町字大山道東

一、二四〇ノ三

田中喜一郎

同字一、二四三ノ一

右同

同字

一、二四四ノ一

藤野良平

同字

一、二四八ノ一

宮岡政雄

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